特別インタビュー:足立修
話スヒト:おさむん=お
聞クヒト:なおみさん=な
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自分史
語り手:おさむん
聞き手:なおみさん
小学校時代
な)小学校にはいられてからいかがでしたか?
お)1年2 3年生っていうのは周りを気にする子でした。怒られないようにしなきゃっていうのはあったと思います。
な)怒られないために、常に周りを気にしていらっしゃった感じでしょうか?
お)友達はそんなことなかったですけど。先生に怒られないようにするにはどうしたらいいか?みたいな・・
な)低学年ながらに考えてた感じですかね?
お)う〜ん、それが考えるというか自然にそうしてた。
な)へぇ、そうなんですね。
お)そうすれば褒められるので、あだち君は(何ていうんだろう)お手本とまではいわないけど、例えば忘れ物をしないとか、『字が綺麗ね。』とか、『丁寧によくできますね。』みたいなことを言われるのでその先生に・・。
結構ボクね、3年までは1、2年の先生とと3年の先生って両方とも女性の先生だったんです。その2人の先生に褒められるのがすごく嬉しかったですね。
な)じゃあ嬉しいからどんどん頑張る感じで
お)そうですね。それが何かこう神経質っていうよりはその先生に褒められたいから頑張ってる。みたいな。
な)でも本人はそれを苦でもなく
お)無理してそうしてるわけじゃなかったですね。
な)楽しかった。先生に褒められるのが楽しかった。っていう感じでしょうか?
お)はい、そんな感じです。
な)で、3年生まではそんな感じで、今度中学年というか4、5年生高学年になっていくに従ってはどうだったんでしょうか?
お)4年生になっては男の先生で、でもやっぱり好きでしたね。その先生も好きで。ま、ほんとに1、2、3年の先生が母親みたいな先生。自分がこう、何ていうんだろう、いいなって思うお母さんみたいな存在で。 4年生の先生も年配の先生だったので結構父親みたいな感じ
の先生ですごいよかったですね。
でボクはそんな感じなので、ま、今で言ういわゆるいい子だったので、学級委員とかやってて(ふ〜ん)で、それで4年の時に、僕らの時代って男の子は大体野球なんですよね。野球とかドッジボールとか。
な)う〜ん、そうですよね。
お)多分その時って雨だったと思うんですけど、雨で放課後で外でドッジボールとかできないから、廊下でキャッチボールなんかしてたんですよ。友達と。
な)ああ、はい
お)それで、隣の先生が、今でも覚えてますけど、M先生って言うのに見つかって(はい)その先生って言うのが厳しい先生なんですよ。
『廊下でキャッチボールするってのは何やってるんだ!』みたいな感じでポンポンと叩かれたんですね。
な)あ、叩かれたんですか?
お)はい、叩かれました。ま、最初はね、廊下の時は多分頭を叩かれたくらいかな?(はぁ)で、『中に入れ』って言ってで、放課後だから残ってる生徒みんな入って、で、要は先生としては廊下でキャッチボールなんかすると、誰かにぶつかったら怪我するし(うん)『お前たちが楽しいからではなくて。』てことを言ってたんですけど(はい)僕は4年生なんで、まあなんか不服な顔してたんでしょうね。(えぇ・・)『楽しいことやって何が悪いの?』みたいな
な)はい
お)多分顔に出てたと思うんですよ。
な)はい
お)で、それで、え〜と、バカすか殴られましたね。
な)えぇぇぇぇっ!?
お)殴られたの、それはすごく覚えてます。
な)それはでも、先生の方もなんか感情的なったように私はちょっと感じちゃうんですけど。
お)そうですね。もう最初にもう火をつくと、手を出す先生だったので、まあ多分順番で4、5人の男の子が順番でキャッチボーを交代でやってたと思うんですけど、まあ何だかんだいいながら殴られてたんですね。
な)えっっ?みんな殴られたんですか?
お)うんうん、やってた4、5人。で、『ここのクラス委員長誰だ!?』とか言って・・・(はい、フフフ)俺じゃないですか。
な)ハハハ笑、はい
お)『俺です』って言ってまた殴られたの。笑
な)ハッハッハ笑笑
お)で、合計30発くらい殴られましたね。
な)へぇぇぇっ!?
だけど、なんかひどいと思うじゃないですか?(はい)話聞くと?(はい)
でもなんか、最初のこう、なんか、何で怒られてすんだよ?て納得しなかったんだけど、後半の方になって、あの、あれなんですよね、逆に厳しく言ってくれる先生って言うのが今までいなかったので(あっ、はぁ、はい)それが逆に、怒りじゃなくて、真剣に向き合ってくれてると言うことに、なんか、嬉しいなと思ったんだよね。悪いことは悪いって言う。
な)あ、まあもちろんそうでしょう。はい
お)あの、ビンタするのがいいかどうかは別として(はい)それを僕としては、自分のクラスの担任の先生でもないのに、そうやって真剣に怒ってくれる先生はいい先生だなって思ったんです。
な)あぁ、そうだったんですね。
お)で、5、6年にその先生が俺の担任だったんです。
な)あっ、へぇぇ。
お)なんかその時は嬉しかったですね。ああ、この先生に最後、ね、小学校最後の2年間をこの先生と担任でなってくれるんだ。と思って。
で、実際担任になってみると、怒るけど褒める先生だったんですよ。
な)あぁ、メリハリが(ありましたねぇ)あるような先生だったんですね。
お)だからあの、できたしょうカードみたいなお手製のカードがあって、それこそメーしサイズみたいなやつなんですけど。で、何でもいいんですよ。
あの、今日朝掃除やりましたとか、テストで100点取りましたとか。
今日は校庭3周走ってっきた。と自己申告生なんですよね。
な)はいはい、へえぇ。
お)自分はこういうことを頑張ったっていうと、そのカードに『校庭3周走った。あだち』って書いてくれるんですよ。
な)へえぇぇl
お)そのカードをもらうのが嬉しいんですね。子供心に。(そうですよね)集めるのが。(はい)
だからあの、ま、殴られたことは4年の時殴られた以降は鳴っ方ですけど、とにかくその、褒めてくれる先生でしたね。またその、4年生までの先生と、このM
先生ていうのの・・何ていうんだろう。接し方がすごい、違ってて、特にそのM先生との2年間はよかったですね?
な)ああ、そうなんですね。じゃあ小学校生活はとても充実して
お)そうですね。楽しかったですね
中学校時代
お)5つ上の兄がいるので、僕が中学校2年の時に、私の兄貴が大学に合格したんですよ。(はい)それが東京大(ほぉぉ)で、それでなんか人生がこう、何だろう?そこで変わりました。まず一番僕の人生を振り返ってみると、その、兄が大学に合格したっていうことが、その時、まぁ中2なので思春期?真っ盛りじゃないですか?(はい)で、すごいプレッシャーだったんですよね。兄が東京大学に入った(はい)っていうのが(はい)すごいことなんですよね。
な)すごいことですでどね。はい
お)親が例えばね(はい)そんだけの大学出てて、それなりの学がある子供だったらまあね。DNAとかで(うん)ね。あれかもしれないですけど、ほんとに普通の、うちの父は高校、田舎の高校卒業だし、で、うちの母はやっぱりあの中卒だったので、そういうところでこう、東京大学出る。の、子供が入学するっていうのはすごい。まあ田舎なんでね。みんな周り知ってるんですよ。
な)ああ、そうなんですね。え、お兄さんは地元の高校で(地元の高校で)あまりそんな東大とかでるような高校じゃなかったんですか?
お)はあはあ、もうもちちろん東大はどうかな?でもやっぱりその、うちの学区では一番の高校だったので、(はい)まあいわゆる6大学とか入るような進学校でした。(進学校だったんですね)でもまさか、でも先生に『お前はどこに行っても受かるから、どこ選んでもいいよ』って言われたのでうちの(お兄さんが)うん。『お前どこ受験すんの?』って言って『ええと、東大行きます。』って言って。『ああ、全然受かるから大丈夫』
な)へええ、すごいですねぇ。そこ一本でいってたんですか?
お)現役の時は一本だったんです。絶対自信があったわけなんですよ。落ちる要素が0%なので、あ99%か。
な)勉強が、お兄さんはお好きだったんですか?
お)でもまあ小学校の時までは空手やってたし、(はい)ソフトボールやってたんで、やっぱ体動かすの好きだったんですね。うちの兄は。
な)ソフトボールはオッケーだったんですね。野球はダメだけど。(ねぇ?兄は良かったのにね。
お)なんかわからないですね?(そこはわかんないですね?)そうなんですねぇ。
だけど、うちの兄も中学に入って、そう、中学入ってもう部活やんなかったんですよ。
な)あ、お兄さんも?
お)うん、うちの兄貴も。それはなぜかというと(はい)大学行くにはお金がかかる。っていうのは、兄貴としてもわかってたんですよね。で、まあ僕小田原ですけど、小田原の近くで通える大学ってそうそう多分あの時まだそんななかったので、やっぱどうしても東京にでなきゃいけない。っていうと一人暮らしをしなきゃいけない。(はい)ってなると、一人暮らしのお金プラス大学の、私立の大学なんて行ったらとてもじゃないけど無理だろう。だったら、でも大学行きたいから目指すなら一番の大学に行きたいって言って中学の1年生からもう勉強してました。
な)あ、もうその頃から将来のビジョンを考えてらっしゃった。(あったんです)お兄さんが。
お)コツコツ、目標があったらそこに対してコツコツやっていくのはうちの兄の・・すごいとこですね。うん
な)そうなんですね
でもまあそれが実際それがほんとに現実になって、ま、一浪したんですけど(うん)現役の時は直前で風邪ひいちゃって、(えぇえぇ)全然その共通一次も本試験も成績取れなくて(あぁ)で、まあ風邪ひいちゃったってあれで受かんなかったんですけど、もうその場で予備校に申し込んで(はい)その時から確かそっか一人暮らしか?『もう俺は東大入るから、予備校も申し込んだからお金払って。』ってな感じで。うん、うちの兄はもう東大入る志で一浪して東大に入ったんですね。(うぅぅん)で、そのうちの兄の頑張りも見てるし、でそれを達成したっていうことで、今度は自分もそういう目で見られちゃうのかな?(はっっ)
東大のお兄さん。『お兄さん東大なんだよね?』みたいな。
な)みんなに言われちゃうんですね?
言われちゃうんですよ。クラスでもそうだし、あと(クラスでも?みんなが知ってるみたいな?)言われちゃうんですよ。(あぁぁ。)多分その時に東大入ったの多分うちの兄だけだったんでしょうね。(うぅぅん)なので、必ず言われるし、で、駄菓子屋さんに行って(はい)行くと、『お兄さん元気?』みたいな。(あぁぁぁ)で、僕その特に何で僕の名前で呼んでくれないのかな?っていう。
な)そうですよね?
お)『おさむくん元気?』じゃなくて『お兄さん元気?』って言うことを僕に言うじゃないですか?
な)そうですよね?
お)それってすごくショックで周りの人が嫌いになりました。(うぅぅん)
そこでさらに、そこでもう自分は篭りましたね。人はもう信じない。
な)それは中学2年生ってことですか?(2年生のことですね。)外とか体を動かすことが好きだったけど、今度、篭りがちになっちゃったんですか?(篭りがちになっちゃってんです。うん)家から?(うん)学校はちゃんと行ってたんですか?
あぁ、学校は行ってました。中学2年生の時はすごいナーバスだったんですけど、でも。3年生の時のクラスの先生も、クラスメイトもすごいよかったんですよ。(あっ)だから、学校に行くのはすごく好きでしたね。
な)ああ、よかったですね。(うん)はい。
お)でもそこでもやっぱり、中学2年生の時は神奈川県てあの時『ア・テスト』って言うのがあって。(はい)神奈川独特のテストがあって。
な)ホットロードっていう漫画で知りました。『ア・テスト』
お)あ、漫画で知ったんですか?
な)はい、『ア・テスト』って何だ何だ?って言って(笑)
お)そう、中2の時に受けるんですけど、(はい)うちのアニキはその学区が一番だったんです。一番の高校に入ったんですよ。で、僕ア・テストの成績で当然その一番のところは狙えなくて、本当はその下の2番目の高校狙ってたんですけど、ア・テスト失敗したのでその2ばんめは危ないな。ってなったんですね。
な)、それで全部決まっちゃうんですか?『ア・テスト』で(ほぼほぼ、ほぼほぼですね)へぇぇ。
お)ううん、そこでもう進路決まっちゃうので。
な)本番はあまり関係ないんですか?
お)あの当時、そう言われてましたね。(へぇぇぇ)だけど唯一3年生の時に、新任の先生だったんですよ。その先生が。で、やっぱりこう熱い先生。24歳ぐらいだったかなぁ。その先生も変わってて、工業高校から横浜国大に行って先生になってるんですよ。(ほほほほうほ
う)ちょっとルートとしては面白いですよね。(そうですね)工業高校から先生を目指すってまあまあ僕のイメージではなかったんで、なので何だろうな。杓子定規で物事を見ない先生で、自分はア・テストで失敗したけど、『3年生の1学期のテストで頑張ればいけんじゃないの?』って言われたんですね。(うんうん、はい)それで僕頑張って、ま、たまたま確かにテスト点取ったんですよ。
な)おお、すごいですね。そうなんですね。はい。
お)とはいえですよ、やっぱア・テストあれなので。
な)関係あるんですね?やっぱり
お)ううん、無理かな?と思ったけど、その先生が多分押してくれたんでしょうね?
ま、普段のその、僕ほぼほぼ解皆勤だったので、皆勤賞で、部活はやってないけど、コツコツ勉強して3年生の1学期のテストでこれだけのテストをいい成績を収めたから、(うん)この子は上の高校に押したいと思います。みたいな感じで言ってくれたんです。(うううん)
で、無事その2番目の学区内の高校に入れたんですね。(ほぉ)だけど僕は嬉しくなかったんですね。
な)えっっ?そうなんですね?
お)やっぱり兄がいるので、兄が一番なので
な)兄が一番上の学校に行ってたけど、僕は2番目だったってことですか?
お)そうです。2番目で何とか滑り込めてよかったみたいな。
な)ホッとした感じですか?
ホッとした。うん。そうそう
な)嬉しいっていうよりホッとした。ってかんじだったんですか。
お)そうですね。とりあえず親は怒らないだろうな。みたいな(ううん)親はガッカリしないだろうな。
な)それは何かこう前から比較みたいなのを親御さんにされたりとかしていらっしゃったんですか?
お)ま、口では言わないですけどね。やっぱりその、兄の話を散々するので
な)あ、お兄さんはこうなのよ。とかいう感じなんですか?
お)うん、こうだったとか、今こうしているみたいだ。っていうのを話をされるので(はい)そうすると僕の前で兄の話をされる。っていうのはなんか違和感を僕は感じたんですね。
な)そうなんですね。(うん)素直に受け止められない感じ?ですか?ではなくてそういう感じではないんです?
おうん、いや、目の前に俺がいるんだから、俺の話を(しろよ?)しないのかな?
な)あぁ、そっちなんですね。あぁ、はい。
お)うぅん。何で俺の前で俺の話を『お前どうなの?」とかって(そういうのを言ってくれない感じ?)『最近どう?』体調とか『学校楽しいか?』とかそういうのは聞かないで、うちの兄の自慢話とかをされてたので(あぁ、そうか・・)なんかやだな・・俺のことは存在として薄いのかな?みたいな。こう、寂しい?(うぅぅぅん)感じはありましたよね。でも救われたのはやっぱり3年生の時のクラスの仲間がほんとに良かったので、そこに救われましたね。
な)あっっ、良かったですね。救われてたんですね。ね、確かにその周りの方も『お兄さん元気?』って聞くしね、
お)うぅぅん、まあその時は言われましたよ、やっぱり兄ちゃん東大だから。みたいなからかわれたりとかして。
な)そういうのはあったんですか?
お)ありましたけどね。でもそれは全員じゃないので。(はいはい)その言った本人たちも、からかってるって僕は思ってたけど、本人たちは別にそんなからかってるとか、いじめてるとかそういうことはないんですけど、僕はものすごいナーバスになってるので、兄のことを言われるのがものすごい嫌だったんです。
な)その人達は知らないで言ってるんですもんね。(そう、知らない)でそう思ってることをね。
僕がそういうところで苦しいっていうのを知らないわけだよね。(そうなんですよね)うん
な)そこがなんか、ね、あれですね。
お)そこでね。うるさいって言ったところでまた。まあ、もうそういう気力もなかったから。めんどくさかったので。
な)ケンカとかにはならなかったんですね。(ううんまあ)そういうところで喧嘩しちゃう子っているじゃないですか?
お)ううん、それはこう、もしかしたら喧嘩することで発散して(はい)っていうのも一つの手かもしれないですよね。(ううん)だけど、そういう、こう気力もなかったかな。
な)あぁ、そうだったんですねぇ
お)それぐらいもう大騒ぎだったので。
な)大騒ぎ?
お)村がね。東大に、兄が受かったっていう瞬間
な)ああ!もうホントにちょっとした有名人
お)ちょっとした、ホントに『あそこの足立さんとこのお兄さん東大に入ったんだって?』みたいな。昔って個人情報が何にもないので
な)ねぇ!そうですよね
お)サンデー毎日とか、週刊誌に載っちゃうんですよね。(えっっ?)名前が。知ってます?(知らないです。)サンデー毎日ともう一つね、もう一誌、週刊誌で今年の全国有名大学合格者一覧って出るんですよ。
な)えぇぇっ?そんなのあったんですか?
お)うん、ふたつ雑誌ありましたね。それに東京大学とうちの兄は文化Ⅲ類だったので、そこにうちの兄の名前がフルネームで載るんですけど。それをうちの母親が全部買い漁って親戚中に配り回った。
な)笑・・やあ、まあ嬉しかったんでしょうね。
お)嬉しかったんです。狂喜乱舞ですよ。(ハァァ)その姿も怖かったですね。なんか。(あははは)これをもし、こうやって喜んでる母親は俺はもし、そういうのに、母親が認めるような、知ってるような大学、高校に入らないと認めてもらえないっていう恐怖心がありました
ね。中学校2年生の時
な)はぁぁ、そうだったんですねぇ。
お)大変なことになる、それは(頷く)それは言えなかったですね誰にも。(うんうん)仲のいい中学3年生の時の友達にも言えなかったですね。怖くて。
な)あぁ、そんなに仲のいい友達にさえ言えない感じだったんですね。(言えなかったです)そこに来て、二番目の高校だったから(ううん)尚更ちょっとみたいな。(そうですねぇ)嬉しいって感じじゃなくてとりあえず良かった2でみたいな?
お)とりあえず良かった。そう3じゃなくて2で良かった。(はい)
まあ、要は、うちの母親としては、まあ父親はあんまりそんなに言わないんですけど、母親、やっぱりね、あの母親の存在っていうのはちょっと、良くも悪くも影響ありますよね。
な)確かにそうですね。
母親が、えっと、納得する高校?だから、まあ良かったのかな?
自分が入りたいっていうわけじゃなかったんですよね。
な)行きたくって行った感じじゃないんですね?
ううん、別に自分は高校はどこでもいいと思ってたので、(あっっそう・・)そんなに、やっぱりだからそれだけ中学2年、中学3年の時にその周りの母親を中心としての親、大人達のこう目っていうのをすごい僕は信じなかったので、(うんうん)あの、不信。大人達はそうい
うもので子供を判断するんだな。(ううん)っていう目で僕は大人達を見ちゃうよね。
ね、誰もその、おさむんさんのことは思ってないんですよね。ただ、お兄さんがすげえ!見たいな感じなだけ。そんなに傷ついてるとか全然誰も何にも思ってないってことだったんですね。
お)ううん、だからその2年間で随分消耗した気がします。気が消耗した気がします。
な)そこでちょっとこう、おさむんさん的には感覚というか、気落ちがちょっと変わっていった感じですか?人生として
お)まあ、相当な転機ですよね。中学2年生の時って。
高校時代
お)高校の時は男子ソフトボール部ってあったんですよ。で、まあそこに入ってたんですよね、体を動かしたかったので。(はい)まあそれは、別に何も、まあまあ高校になればそんなに干渉してこないので。そのソフトボール部に入るのは別にダメとは言わなかったですね。
大学受験
大学に入ったんですけど、それもその大学に入りたいんじゃないんですよ。
とりあえず大学に入るために、えと選んだんですけど、でもそこで例えば経済学を学びたいからここの大学に入りたいじゃなくて、とりあえず入らないと怒られる。
な)怒られる?
お)うん。親に、親に怒られる?何だろうな。親になんかまた言われるんだろうな?っていう。推薦で入った。それでいいでしょ?大学入ったから。って思ったけど、でもうちの母親にしてみたらその大学のことを知らないんですよね?その、まあうちのおふくろなんてまあ東大と、まあ早稲田慶応とか、明治とか六大学しか知らないと思うので、それじゃない大学だったことに、どこの大学なの?って言われたんですよね。
な)えっっ(失笑)そうなんですね。
お)よくいうよね。子供に対して(ええ、はい、ちょっと・・・)その時に僕初めて怒りが込み上げてきて、目の前にあったテレビを蹴飛ばしてブラウン管を壊したっていう。叩き潰したっていう。そこまでして俺のことを認めないのか。(ううん)そう
お)ううん、がんばったね。とか『どこに行こうとしてるの?』っていう普段の会話はなんにもなかったので(はい)だから、うん二人でまあね、母親が、『2年の後半だから大学とかってどうなの?考えてるの?進学考えてるの?どこか行くの?』とかっていうのは全くなく、自分で決めたんですよ。
な)あ、そうなんですね
お)だから大学も決めたのは自分だし、で、全て事後報告だったので
な)それは親御さんが全く聞いてこないからですか?
お)こないからですねぇ。
な)ふぅぅん。自分から言おうっていうこともなかったんですか。
お)そこまで気力なかったですね。
な)ふぅん。でも親御さんも普通なんか、気になるような気はしますよね。
もし、自分が子供に言うとしたら。その前にまず『大学行くの?』とか聞く気がするんですけど。(まあね、お金の用意とかね)『大学考えてるの?』とか(ううん、ね。)聞いちゃう気がするんですけど。そう言うのも一切なかった
(なかったですねぇ)へぇぇぇ。そうだったんですねぇ。
お)ホント、僕もう家にいる時って一番苦痛だったので(あぁ、そうだったんですか。)家に帰ってきて、ご飯食べたらもう自分の部屋に入ってたので。
(あぁ、はい)もうほとんど喋らなかったですね。
な)あぁ、私に似てますね。フフ。
お)昨日の話を聞くとね笑(はい)そう、ホントに嫌でした。あの、喋るのも嫌でした。それぐらい頑なに中学2年生から徐々に徐々に感じてた周りへの不信とか溜まっていってもうそれで自分の気持ちが削れてって、(はい)もう高校3年の時にはホントにもう倒れる寸前ていうかもう、削れて削れてもう立っているのが精一杯(はぁ)かといって学校でも一人ってわけじゃなくて友達がね、行き帰り、部活も一緒だし、行き帰りの帰る友達もいたわけだから(うん)友達いませんじゃないんだよね。(ああ、はい)だけど、友達には言えなかったんですよ。そのこと。そういうことで悩んでる(ううん)今、それで、親とのそういうのがあって俺は辛いっていうのが言えなかったですね。そういうのを誰かに吐露するっていうことはなかったので、どんどん自分を追い込めていっちゃった3年間で。
な)ううん。言うのは気力がなかったからなんでしょうか?他の仲の良かった、前も親友がいらっしゃったけど言えなかった。とおっしゃってたじゃないですか?それは何でだったと思いますか?何で言えなかったんでしょう?
何ででしょうねぇ。(はい)多分その時は、こう言うことは自分で消化するものだって言う勝手な自分の思い込みがあったかもしれないですね。(そうなんですねぇ)もしかしたら多分仮に現代で、SNSがあって、『こんなことで悩んでるんだけどみんなこういうので悩んでないのかな?』とかってTwitterで発信してて(ううん)誰かがそれを(はい)私もそうです。って人がいたら、そういうのって人に相談していいんだ?って思ったかもしれないけど、その時にはそういう、こう楽しいこと以外を友達の前で言うっていうのは(ううん)なんか言っちゃいけないみたいな思い込み。それはもう完全な僕の思い込みですからね。
な)えぇ、言ってたらもしかしたら変わってたのかもって言うのはあるかもしれないですね。(そうですね)今だと、知らない人にだからこそ言っってみる、(確かにそう)投げてとかできるんだよねぇ。(うぅん)そうすると知らない人だけど、共感してくれる人がいるみたいなね。ところがあるから。確かにそう言う面ではいいかもしれないですよね。
お)ある日、出勤途中に真っ直ぐ行けば職場なんです、仕事場。左に行けば伊豆半島、伊豆半島に行っちゃおうかなっと思って無断欠勤しました(はい)もうそこでもう、この会社はいい、もう俺は人生ここでいいやリセットしようって思って無断欠勤してそのまま辞めました。
な)特に何かなんか引き止められたりとかは、そういうのはなかった?
お)先ず、まぁその当日大変じゃないですか(来ない)来ない、連絡来ない、どっかで例えば交通事故に合ってる、それこそ箱根だからガードレールにぶつかってとか、おっこってとか何かもう大騒ぎですよ、で、もちろん親にも連絡してないし(はい)で、ひょこっと僕が何かそういうこと考えないんでしょうね。もう夜の八時だか夜の九時頃にけろっと帰ってきて「ただいま~」って言ったらそれこそ「あんた、どこ行ってんのよ、大変よ、会社が」って。「足立が来ない」って警察に連絡するわ、エライことになってるからっ言って。
で、でもそれで申し訳ないって思わなかったんですよね(頷く)もう俺行きたくないし(はい)それが24歳に言ってることですからね、ほんと幼稚ですよね、今思うと
な)うーん、どうなんですかね、でもそこに伊豆の方に行かなかったらまた何かこう(3秒)ね、何かあったかもしれないじゃないですか(3秒)はい。我慢、はい
お)自分でこう何だろうな道を一本降りたというか、もうこれ以上もう限界まで行く前に(はい)その道を降りようって思ったんでしょうね
な)その選択が出来たことが私は、私はそれが良かったんじゃないかってちょっと私は思っちゃいますけどね。
お)でもあれはね、自分の意志で、やったことは酷いですよ、社会的には(そう、勿論ですけどね)でも自分の中で言うと自分で選んだっていうか、こっから逃げようっていう選択をしたんですよね。それは僕は、僕は初めて、人生で。決断したかもしれないですね
な)うん、そこでね、ちょっと電話でも一本入れとけば一番良かったですけどね(笑)良かったかもしれないですね
お)お腹痛いですとか、熱が出ましたとかいやぁいいのにね
な)ちょっと途中で調子が悪くなって降りちゃいましたとかね。そんな気が回ってたらそんなことしないですよね
お)それだけ追い詰められてましたね
な)ね、はい(そう)そうだったんですね。じゃ特に何も言われず直ぐに受理されたんですか?
お)いやぁ~大変ですよ(えっ、大変だったんですか?)大変でしたね。あの~結局、あの~もう本当に燃え尽きちゃってもう、本当にもうあれですよ、力石徹ですよ、白くなった状態だったので(はい)あの~
な)あ、燃え尽きちゃったのは丈じゃないですか?(あ、丈か)真っ白になっちゃった
お)あ、真っ白になっちゃった(笑い声)力石でもいいんですけど…もう本当に何かもう(力石がね)ポキっと折れちゃった。なんかもう魂抜けちゃった感じ。今までがんばってきてがんばってきてもう、駄目か~俺ダメかもみたいな(はぁ)それが24かな。もう24,25になる前ですかね。もう何もかも嫌になっちゃいました。で、毎日、え~無断欠勤してたじゃないですか、で次の日も何にも言わないんですよ。で、そうすんと、ね、「俺会社行かないから、遊びに行ってくるって」。じゃぁどうするかというとウチのおふくろが会社に「え~と休みます」って。(電話したんですか)電話して。もうそこでもう傍から見るともう突飛ななんて非常識なって思うかもしれないですけど、やっぱり燃え尽きた、なんかその時にもう母親を困らせてやりたいって思いもあったかもしれないです。俺がもう今日も休みますって自分が言えばいいのに言わずに自分はパッと出てっちゃうわけだから。そうすると困るのは母親なんですね。たびんそれまでの積年の恨みみたいのを全部おふくろに押し付けてたっていうのがあるかもしんないですね。困らしてやりたい。お前の言う通りに生きてきたつもりだけどその結果が自分がこう燃え尽きちゃった、お前のせいだみたいな。その恨みがあったんですよね。たぶん。その当時はね
な)なるほど
お)ちゃんとしなさいっていう結果がこれか!みたいな。あなたが言ったきちんとちゃんとした結果がこれなのか!と思った時にそうならなかった。何にもちゃんとなっていなかったっていう自分が、成長出来ていない自分がもうがっかりしたっていうか、それを自分を責めるんじゃなくて,それまでさんざん自分を責めてきたのでもうあとはお前が悪い。もうそうしないと自分の精神が(持たなかったんですね)誰かのせいにしたい。こんな自分、自分がこうなってしまったのはお前のせいだってだれか親のせいにしたかったっていう未熟さはありましたね。でもそれでも、更に自分を責めてしまってたらもう生きてるのがダメかもしれないんでせめてもの防衛反応というか自分をぎりぎり守るための、あれかもしんないですね
な)それは今思うと未熟だったと思える感じなんですか
お)何でそんなことを。もっと話合えばいいのに。
な)あ、お母さんとですか?話合えばよかったと感じてらっしゃる?(そのときにね)今思えばね、話しておけばよかったかなって思ったんですかね。話合えてたら分かり合えてたんでしょうかね?
お)え~~どうだろうなぁ。
な)今はどうなんですか?今はどんな関係なんでしょうか、お母様とは
お)いやですね(今でも(笑))会いたくないですね(あ、そうか。昨日そう聞いたんですよね。そうですよね)
お)自分史かどうかわかんないですけど僕も会社辞めちゃいました、しばらく所謂あの当時プータローですよね。なにも仕事もしないで家にずっといたので、そんときに慌てふためく母親、僕がちゃんとしてないので(お母様の言うちゃんとしてないんですね)仕事もしないで家でプラプラしてる、ちゃんとしてないじゃないですか。(はい)良くないですよね。そうするとはじめて僕は反抗したんでしょうね、母親のちゃんとしなさいをちゃんとしなかった訳ですよ
な)初めてなんですね、そこで
お)はじめてだと思います。そこで狼狽えてる母親を見て「じゃぁ、あなたは、あなたもちゃんとしてなかったんだね」って思ったんですね
な)あ、そうなんですね
お)ちゃんとしてる人だったら、語り掛けて、話し合いをして「じゃぁ、これからどうしよう」とか「今こうなってしまったけど、じゃぁ、おさむ、今まで何も事後報告でなかなか親子で喋れなかったけどこれを契機に、まぁ良くないけど、これからどうしようか?っていうのを、あの~、話合わないか?ていう、こう、ただ狼狽えていただけの母だったので「お父さんどうしよう、お父さんどうしよう」ってうちの息子がおさむがこのままだったらどうなっちゃんだろうって言って慌ててるのがなんか、あなたは成熟してる大人じゃなかったんだなって思うとこの人の言ってるちゃんとしなさい、みっともないっていうのはずっとそれを信じて生きてきた自分はアホだなって思ったんですよね。なんかちゃんと芯があるんだろうな。そうじゃないんだな。じゃあ自分は何を頼りにしていけばいいのかわかんなくなっちゃったんですよね。その時に付き合ってたさっきの彼女とも会えるような状態、会う様な感じでもなく、これから俺どうやって生きていけばいいのかな?会社を辞めたすっきりしたっていうよりも辞めたって選択はしたけど、じゃぁこれからどうするんだろう?って先が全く見えないですよね。だってやりたいことは何もないし家でボーっとしてるしなんか平日の昼間に24歳の男がプラプラしてるのも変じゃないですか。まぁ僕は編だと思ったんですね。いやぁこのままどうするんだろうおれは。更に2年は底、どん底ですかね。人生のその振り返りで言うと。もうそこから這い上がれないのかな。その時にちゃんと付き合っていたカノジョにね、今こうなっちゃったけど自分が分からなく、混乱してるんだけど相談すればいいんですよね。だって彼女ですよ。だって五年間くらい付き合ってましたからね。(はい)そんな苦しいときこそ彼女は私の相談に乗りたいっていってくれたのにそれも拒否ってましたからね。(はぁ、そうなんですね)自分のことも分からないし他人のことが助けてくれる気持ちすらさえも分からなかった。いままでのダメな部分が全部出てきた。自分にがっかり、親にがっかり。最終的には自分に対してがっかり(自分に対してですか)だってもっと早く気づけたですよね、母親の束縛っていうのが煩わしいと言ってもっといっても甘えたりとか言葉でとか態度で示せばいいことを僕は親のせいにして自分のことを人のせいにして親のせいにしてたのでそれは良くない。だって自分の人生なのにそれを全て親が大学行けって言ったから行ったとか親がこうしろと言ったからそうした、それは全部母親が悪いってこと言ってる24歳のお前は何だ!っていう。そこで自分責めましたね
な)あ、そういう風に責めちゃったんですね
お)責めましたねぇ。自分の、お前の人生なのに他人のせいにしてる自分が女々しい、恥ずかしい
な)でも、ね、おさむさん的には積み重なったものが最後に爆発して今なった感じじゃないですか(そうですね)それが何で人のせいにしてんだってまた自分を責めちゃったんですね。そうあんですね。負のループにハマってしまった感じですかね
お)24歳、25の時はそうでしたね。何にも目的もないしただ息してるだけだったような感じ
お)今の主治医の人にも言われたんですけどあの~たぶん14歳から始まってるからあなたの歴史が始まってるので(あ、はい)たぶん14歳の時の兄の大学合格から急に他人の目が気になるようになったもう明らかにそこがスタートライン(そうですね)今55歳なので40…41年か、それだけ歴史が長いものなので「まぁまずは良く生きてたねっていうのと。それだけ歴史をあるものをこれから少しずつ整理していく、これから整理していく時間なのでだから焦ったってしょうがないので、でもね、その先生が言ってた、これ、時系列が全然違っちゃいますけどその先生が言うにはその先生の言葉は沁みました、よくわかりましたね。焦るなって言っても、いや、こっちは焦る訳ですよ。焦んなくてもいいと言ってもこんだけ頑張ってきたんだから焦んなくても必ずいい道が待ってるからってことを言ってくれたのでそれが9年前、8年前かな。その先生に出会って、ですかね。ちょっと飛んじゃいますけどその先生に出会わ…出会ったことは大きかったですね。14歳の時から24歳までの10年間溜まってきたものが、こう、自分の心身を崩したんだなぁって。その9年前に説明されて納得しました。
な)その先生に出会えてよかったですね
お)9年前だから45でしょ。
長かったですね、何か、いろんな先生にって仰ってましたんもんね、前に話を聞いた時にね
お)はじめて、その、自分がどうしてイイか?分かんないときって言ったんですけどそれはまさしくどっかに行ってこれって病気?だったら精神科に行ったら治ると思ったんですよ(はい、思いますよね、普通は)で、行ったけどその時の先生があんまり話を聞いてくれなくて今みたいにいい薬が開発されていなかったんで凄い副作用が強くてとてもじゃないけど喉が異常に乾くしなんかね、変な話ですけど、顔が変わってくるんですよ、顔の表情が変わってきちゃんですよ、あの時の写真は撮ってないですけど朝顔を拭くときの顔って自分の課をじゃない表情がね全くなくなっちゃんです消されちゃう、こわくてでもその時はうつ病と診断されてたので、でも本当は双極性障害でだけどその時の先生は見抜けなかったので双極性障害なのにうつ病の薬を飲んでるから治るはずがないんです。そうすると通院しなくなっちゃう、だって行ったって治らないので諦めるしかないので何とか慣れてたアルバイト先だったので何とか仕事出来てましたけどやっぱり繰り返しになるけど自分の核になる所っていうのは人に言えないんですよね。こう会社を辞めてしまって今24歳5歳でフリーターをやってる自分が何故そうなってしまったのかというのの相談とか悩みを言える人はいなかったですね。やっぱり自分で解決しようという、今でもそうですけど、1人で決めなきゃいけないみたいな思考は(今でもある?)癖として有りますね。でもだいぶここちめいどに入ってから負荷を分散させないというのはだいぶ教えられたのでカミさんだけじゃなくここちめいどでは言えますね。
な)やはり信頼みたいな感じでしょうか。
お)基本的に、というか絶対に拒否しないのでここは(あ、はい、ここはね)絶対拒否しないので、とか。そんなの気のせいだとか気合いなんとか、気の持ちようだとか絶対に言わないのでそういう意味では論破されないというかこうしなさいとかこうすべきだとかいう答えを押し付けられる事もないし否定もしないというのもあるのでまぁ、その、まなさんと出会ったのは本当奇跡ですよね。カミさんと先ず出会ったのが救い。そのあと9年前に休職はしたけどその時に今の先生に出会ったのも救い、最後によりよく生きるには?というところは医療ではないのでそこでまなさんに出会ったのは救い
な)そうなんですね。