特別インタビュー:岩澤拓也
人と違うことと自分の状況を見極めて、みんなと違うことをやろうっていう僕の考えが大きいですね。
僕は逃げだと思っていたんですけど、ここちめいどに入って逃げじゃないなって思うようになりましたね。
話スヒト:岩澤拓也=た
聞クヒト:近藤美貴=ミ
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ミ:たくさんの鍼灸院はどちらにありますか?
た:僕は神奈川県の茅ヶ崎市で開業してまして、1人で診療をしています。
ミ:患者さんはどんな方が多いですか?
た:そうですね、症状としてはメンタル系の方が6割くらい、うつ病ですとかパニック障害の方が多いですね。
ミ:あ、そうなんですね。
た:あとは趣味が合う方たちが紹介でくることも多いです(笑)
ミ:そうなんですね!
た:趣味の話はまた後ほど!
ミ:ぜひ聞かせていただけたらと思います。
価値観が出来上がった小学生時代~
人生を変えた先生との出会い
ミ:たくさんの子供の頃から今までのことも聞いていきたいのですが、小さい頃はどんな子でしたか?
た:そうですね、どんな子だったというか僕のメンタリティや考え方がかなり確立されたのが小学校ぐらいだなと思って。
ミ:へぇー!
た:僕はバスケットボールをやってまして、めちゃめちゃ下手で。
ミ:あ、そうだったんですか?
た:一応レギュラーをとれたんですけど緊張しいだったので、試合に出てボールもらうと頭が真っ白になっちゃうんですよね!
2人:ハハハハハ(笑)
た:それで何にもできなくなっちゃうんですよ!それでボールをもらってもシュートがで打てなくてパスしちゃって、消極的なプレイヤーと言われてたので全然レギュラーをとれる感じじゃなかったんですけど。そこを小学生ながら認めたというか。
ミ:へぇー!
た:僕はもうオフェンスはできないから、じゃあどうしたらいいかな?という時に、できないんだったらディフェンスを頑張ろうと。
ミ:やめちゃおうではなかったんですね。
た:そうなんです、みんなと違うところで頑張りたいなと思うようになって。そこからはものすごく練習をしまして、シュートは全然打てないけどよく動いてディフェンスを頑張るという風にしたら固定レギュラーになれたので、それが最初の成功体験であり僕の人生の生きかたになったなというのが小学校の1番印象に残っているところです。そこで生きかたが決まったなっていう。その考え方がその後もずっと続いていくような感じなので。万能感はなくみんなと違うことをやろう!という子だったなと
ミ:ふーん!
た:あと僕は体力だけはすごくあったんです。小学校5年生の時の先生が元中学校の体育の先生で、授業に力を入れていてすごく面白い先生だったんです。毎回校庭を2周くらい走らされて、走る前の脈拍と走り終わったあとの脈拍を記録するんです。そのあと5〜10分くらいかな?少し時間がたった後の脈拍も計測するんですね。
で、平常時と走って脈拍が上がった状態とその後下がった状態を記録して心臓の強い子を探してたみたいで。
ミ:すごい!(笑)
た:それでもろに僕がハマりまして。脈拍から上がってから下がるスピードがめちゃめちゃ早かったんですね僕。
ミ:そうなんですね!
た:僕はそれまで運動は全くできなかったし、走るのすんごい遅かったんですよ。バスケも頭が真っ白になっちゃうしスポーツは全然できないなと思ってたんですけど、その先生に「とにかく水泳か陸上の長距離をやれ」と言われて。
ミ:へぇー!
た:だから試合も組んであげると言われて、クラスの心臓の強い子を集めて駅伝に出させてもらったら結構いい結果が出て。
ミ:へぇー、すごい!
た:初めてそこが僕の自信がついたところ。そこでさっきのバスケの話になって、じゃあその体力を使って何ができるか?となったり、そこから陸上の長距離の道を歩んでいくので。僕の最初の人生のターニングポイントはその先生との出会いだったりするんです。
ミ:へぇー!
た:この方は生涯忘れないですね。おかげで今ここにいるなと、分岐点だったなと思います。
ミ:小学生の時って大人と違って出会える人の幅が限られている中で、データや裏付けるものをもって「やってごらん」って背中を押してくれる人に出会えるっていうのが。すごく貴重でなかなかできない体験ですね。
た:小学校って足が早い子や球技ができる子がヒーローなんですよね、体育のときに。だけどその先生は僕と同じようにそうじゃない子をいかに引き立てるっていうのをやってたんじゃないかな?って。
20年ぐらい前なのでおぼろげですけど。そこで才能を見出されて運動に関して人生が変わった子もいるんじゃないかな?と思いますね。
ミ:うんうん。
た:一緒に駅伝に出てた普段は全然目立たない子がめちゃめちゃ速かったりしたので。
そういうの大事だなと思うし、そういう親でいたいなと思いますね。
子供のこれができないからじゃなくて、できることを探してあげるようになりたいなってその先生のおかげで思いますね。
ミ:その体験があったからこそお子さんたちにもそう教えたいなという。
た:そうですね。
ミ:その先生に出会ってからディフェンスに変わったんですか?
た:そうです。小学校5年生の途中で長距離をやった方がいいと言われて、自信がついたのが冬ぐらいだったので小学校6年生ぐらいから固定メンバーになれました。
ミ:じゃあいろんなものがバチっとはまったんですね。
た:はい、バスケもチームは強かったんで関東大会とか出てたので。
ミ:すごいですね。
た:いい経験をさせてもらったなと思ってます。
ミ:それが1番最初に記憶に残っている成功体験なんですね。そんな中で当時好きだったことに書いてくださっているアニメなどは気付いたら好きだったんですか?
た:僕は名探偵コナンがめちゃめちゃ好きで。アニメ放送が始まったのが幼稚園の年長のときで1話から見てて。もろハマりしたのを覚えてますね。
ミ:1話から見てた記憶があるのがすごいですね。
た:いや〜ありますね。ワンピースも覚えてるんですよね。
ミ:ええー!そうなんですね。
た:母親に報告したのを覚えてますね。ワンピースの意味がわからなかったので、女の人の洋服かと思ってたんですよ。
ミ:確かに!笑
た:洋服のアニメやるよ〜って母親に言ったのを覚えてます。
ミ:かわいい!そこからアニメって楽しいなって思ったんですか?
た:そうですね月曜日の7時からやってたんであの時間帯は好きでしたね。金田一からのコナンで、途中から犬夜叉からのコナンになって。
ミ:あ〜あった!
た:わかる人にしかわからないけど、あの時間帯がアニメやっててコナン、犬夜叉あたりがハマってましたね。
ミ:そんな中、中学生では体力を生かして陸上を。
た:そうですね、長距離をやり始めて。ものすごくいい成績は残せなかったんですけど学校では圧倒的だったので。シャトルランとか体力測定あるじゃないですか?
ミ:ありますよね。
た:かなり断トツだったので。本当に陸上やってよかったなって思ったんですが、1番中学のときに印象的だったのは2年生の時の担任の先生ですね。大阪から来ためちゃめちゃ怖い先生がいまして。うちの中学ちょっと荒れてたんですよ。僕の学年はそうでもなかったけど上の学年がすごくて。そのせいなのか突然バリバリの大阪弁、ワックスで髪ぐゎ〜みたいな先生が来まして。印象的だったし、あの先生のおかげで学校が変わったなっていう。ごくせんじゃないですけど。笑
ミ:治安が保たれたというような?
た:そうですね。めちゃめちゃ怖くて、永遠挨拶っていうのがありまして。
ミ:なんですかそれ!
た:始業式の最初の挨拶の声が小さいということで、クラスに入った時の。
ミ:あ〜、はいはい。
た:5人ずつの班で全員超でかい声で挨拶をしないと帰れないんですよ。
ミ:はいもう1回!みたいな?
た:はいやり直し〜って言って。みんなが見てる中、挨拶の角度が悪いとかも言われて。
ミ:あははは
た:すごかったですよ、他のクラスの子が見にきたりとかしてて。それがうちの学年全員がやらなきゃいけないことになって、それ以降めちゃくちゃでかい挨拶をするっていうのがうちの学校の普通になったりしてて。懐かしいなぁ、でもすごくその先生好かれてて。それこそごくせんみたいな感じで。
ミ:リアルごくせんですね。
た:いわゆるヤンキーになりそうな子たちが、みんなどんどんいいヤツになっていくと言うか。悪いことしなくなったし先輩たちも。ヤンチャな子たちってサッカー部に多くて、その先生がサッカー部の顧問になったんでサッカー部が礼儀正しくなるっていう現象がおきましたね。
ミ:最初はパワーで抑えつけているかと思いきや。
た:やっぱりそこに愛があるかどうかってことなんですかね?すごく愛がある先生だって思いますね。それこそ専門学校ぐらいになったときに同級生から連絡が来て、先生が結婚されるということで。みんなで色紙を書いて贈ろうということになって。卒業してかなり年数もたってからだったので、すごいなと思って。愛されているんだろうなって思いましたね。怖いながらに優しさを感じましたね。先生の行動が問題にもならなかったし。すごくいい人に出会えたなって思いましたね。
ミ:中学生や高校生って思春期で多感な時期であったり、場合によっては反抗期だったりすると思いますが、そんな中でどんなところが先生の愛情だなと感じたのかなと思いますか?
た:どうなんですかね?具体的にパッと出てこないですけど振り返ったときにやっぱり、すごい怖かったけど怖くないというか。自分たちをちゃんと見ている、向き合っているな感はありましたね。何かあったときに授業の時間とか完全に無視して問題を解決しようとする姿勢だったりとか。
ミ:クラスのゴタゴタとかですか?
た:も、そうですし。芯があるというかルールがある。それを外れなければその先生は別に理不尽なこと言ってる訳でもないし、怖いし怒っているときもあるけどそれはルールから外れたときっていう。明確なルールがあったという感じはしますね。
ミ:怒られているときには自分たちにも。
た:非があるよねっていうのが周りにもわかるんですよ。だってそのルール内だからっていう。そのルールが社会的な正義に則っているというか。その先生のエゴじゃないっていうところが好印象だったのかな。だんだんわかってきたって感じですね。最初の3ヶ月はマジで1年間やっていけるのかな?っていうぐらい地獄だったなと思って(笑)
ミ:ハハハ。ある意味、規律をつくって守ってくれているというような感覚ですか?
た:そうですね、そんな感じでしたね中学は。
アニメの面白さを知ったエヴァンゲリオンとの出会い。
うわ、こいつアニソン聞いてやがる。
いや俺も聞いてるんだよ〜ボーカロイド最高!
ミ:そしてこの頃から深夜アニメに。
た:エヴァンゲリオンとの出会いが僕を変えましたね。もう一段階アニメの面白さとか、自分自身でアニメの内容を考えるようになったのがエヴァンゲリオンですね。意味がわからなかったので、どうしてこういう風なのか?と作者の意図や何が言いたいんだろう?ていうのをアニメから考えるようになりましたね。深夜アニメの方が大人向けなので面白いな〜っていう。だからこの時は録画が何個もできなかったので2本とかあると大変でしたね。
ミ:あとはニコニコ動画とかも?
た:やりましたね!ボーカロイドとか。中学校でパソコンを買ってもらえたので。この辺から引きこもり生活が始まりますね、中学2〜3年あたりから。基本外にでない、家でニコ動みてようって感じでした。
ミ:たくさんは普段「オタクです!」って言ってるじゃないですか?引きこもりだけではなく体力を生かして走っていたりしてたんですね。
た:あ、でも中学の時は隠してたんで。
ミ:そうだったんですか!?
た:陽キャになろうと頑張ってました。なかなかずっと出してなかったんですよ。隠してるタイプだったんで。学校では「アニメ見てるヤツやばいよな」って普通に言ってましたもん。
ミ:あははは!
た:うわ、こいつアニソン聞いてやがる。いや俺も聞いてるんだよ〜ボーカロイド最高!とか思いながら。
ミ:そこで語りたいというよりか。
た:やっぱり中学生独特のプライドじゃないですけど、思春期だなって感じですけど。恥ずかしかったですね、すごい見てたんで。ちょいちょいバレるんですけどね、SMAPとかわからなくて。3次元の人たちに興味がなさすぎたので、ジャニーズってなんだろう?みたいな。歌は聞いたことあるけど…
ミ:顔はわからないとか?
た:そうですね、お笑いとかもわからなくて。話がついていけないから「う〜んなるほど。」って言ってるだけみたいな。かと言って勉強しようとも思わなかったんで、その時間あるんだったらアニメとニコ動みようと思ってました。
ミ:そうだったんですね。高校の時は出してたんですか?
た:高校のときは3年くらいから出し始めましたかね。受け入れられやすい環境ができ始めた感じはしましたね。オタク感は出さなかったけど、僕も好きだよアニメ見てるよぐらい。高3になったときにヤンキーにめちゃめちゃアニメ好きなやつがいて。すごい髪も染めてるしウェーイみたいな陽キャなやつらがガチガチに『けいおん』の誰が好き?って話をみんなでしてて。誰が好き談議がすごかったですね。クラス内がそういうの好きな人が多かったんで、綾波派かアスカ派かで派閥ができてとか。そんなことやってましたけどまた隠してましたね。みんなが好きなアニメに乗ってく感じでしたね。本当はもっとって感じですけどね。
ミ:最初はオタクってアキバ系みたいなイメージでしたけどね。
た:高校くらいからはAKBも出てきたんで、オタク=AKBだったんですよあの時。そっちいく人もいたからアニメ好きが緩和された気はします。
鍼灸の専門に入ってから心の状態をいかに整えるかが痛みを
取れるかどうかになるんじゃないかな?
っていう風に思ってて。
ミ:オタクですっていう今の状況への移り変わり期だったんですね。
た:そうですね、でも高校は陸上でしたね3年間どっぷりだったので。アニメを見るより疲れすぎて毎日。家ではごはん食べて寝るって感じでした。
ミ:高校だと1日の中の時間が部活にっていうこともありますよね。
た:ほぼ部活でしたね、授業の時間はいかに体のケアをするかみたいな感じでしたね。アイシングとセルフのマッサージをしてました。神奈川県の公立校では強豪だったので、朝練やって疲れすぎて睡眠の時間でしたね。で、部活やって家に帰って寝るみたいな。それがずっとでしたね。ここで怪我をしてしまったので。
ミ:怪我を?
た:はい。でもこれが鍼灸との出会いだったので、怪我をしたのもターニングポイントだったかなと。
ミ:怪我のケアを鍼灸師さんにしてもらったんですか?
た:そうですね、僕の通っていた専門学校のアスレチックトレーナーの研修先が近くの高校だったんですよ。そこにいくと無料で鍼灸が受けられて、それで専門学校のことも鍼灸も知って。アキレス腱の部分断裂だったんですけど医者からは陸上をやめたほうがいいという話で。
ミ:もう走れないよというような?
た:部分断裂だから手術をする必要はないし日常生活には問題はないけど、スポーツをするには厳しい。かと言って手術をしたらもう高校生活はパーになるから保存療法がいいんじゃないですか?ってところだったんですが、鍼灸師の人だけは「こういう方法もあるし、なんとかやれるようにケアしていこう」と寄り添ってくれたのが鍼灸師の先生だったかなと。
ミ:やめた方がいいよじゃなくて。
た:やめないためにどうするか?を一緒に考えてくれたのが鍼灸師だったので、じゃあこれはなってやるわ!みたいな感じになったんで。
ミ:高校生って進路を職業も含めて考える時期ですもんね。
た:そうですね、なのでそこが大きく変わった点ですね。
ミ:そうだったんですね、でもこの時は走れないのにも関わらず部長になったんですね。
た:これが地獄だったんですよね(笑)キツかったしメンタル的にかなり病んだ時期ですね。走れなかったから部長になったんですよ。1年ぐらいリハビリしてたのでマネージャー的な仕事や指示だしとか諸々引き受けてたんですよ。下の学年の指導とか男女のパイプ役とか。色々動いてたんですよ。部長を決めが投票制で、なぜか走ってないのに圧倒的な人気を得てしまいまして。キツかったですね〜走ってないから1年生にも負けていく中、練習ができないっていう。
ミ:あー。たくさんの中で理想の部長像ってあったんですか?
た:陸上って数字で出るんで先輩・後輩ってないというか、ありはするけど。大会で1種目に出られるのが3人しかいないんですよ。
ミ:そうなんですね!
た:長距離って5000と3000障害と1500しかないんで、1つの学校で9人しか出られないんですよ。それって速い人順なんですよ。1年生だろうが1番速ければ好きなのに出られます。みんな5000mに出たいので、3年になって部長で僕の自己ベストが1年生で止まっているっていう感じだったんで。キツかったですねメンタル的に。
ミ:メンタル的に。
た:あと先生がめちゃくちゃ怖かったので。違う怖さです。ネチネチ1時間とか立たされてずっと説教されてたりとか。部長だと自分じゃないことに対して。あの時はかなり落ちてましたね。そのおかげで精神の状態が身体に影響するなってすごくこれで思ったんですよね自分の。
ミ:体験したっていう?
た:そうなんですよ、ここで体験できたっていうんですかね。僕が足が痛いのってだいぶ治ってるのにも関わらず痛いんですよ。それってメンタルなのかな?と思ってて。
ミ:今考えればですか?
た:いえ、当時から。これ気持ちで走れてないわっていう。すごい弱さが出てたなと思いますね。結局大会に出ても練習をしていないから、練習でもよく走れないんで。それだったらもう走りたくないなって感覚もあったんで。そう思うと痛みが強くなる気がしたんです。
ミ:それに伴って身体も反応しているっていう。
た:はい。だから鍼灸の専門に入ってから心の状態をいかに整えるかが痛みを取れるかどうかになるんじゃないかな?っていう風に思ってて。
ミ:鍼灸の専門学校に入る前から心と身体の繋がりを。
た:そこはすごく感じてましたね。
ミ:実際に東洋医学を学んでみて、心と体が繋がっているというのはわかるー!という感じですか?
た:そうですね、学校自体はかなり西洋医学的な治療というか筋・骨格で治療します!という感じだったんですけど。その中で東洋医学が1番学ばないといけないことなんだなと思って。学校に入る時はスポーツをする人を診たいと思ってたけど途中からそうじゃなくなって。もっと精神を病んでいる人を診たいなっていう風になりましたね。
僕みたいな感じでメンタルがしんどくて身体に影響出ている人っていっぱいいるんだろうなと思って。そっちを治すためには東洋医学、途中から中医学を頑張って勉強しようみたいな。
ミ:そうだったんですね。臨床に出てからとかここちめいどで学んでからメンタル疾患の方を診たいというより、学生の時からそうだったんですか?
た:そうです。元々そっちを診たいってずっと思ってて。でも学校で習っている内容だとどうしたらいいかわからなかったんですけど、まぁその…初音ミクの話になっていくんですけど。
ミ:あーぜひぜひ!
た:中国研修に初音ミク(フィギュア)を連れていったところ、合同で行ってた他の学校の先生から「会わせたい先生がいるんだけど」となって。初音ミクを使って鍼灸の歌をつくっている先生がいると言ってて。その人にあった方がいいよと言われて、わかりました行きます!って言って、そこにいて出会った別の先生が僕の師匠の先生で。この人の所にいこうと思って卒業後はその先生のもとで中医学を勉強させていただいたっていう。
ミ:そうだったんですね。
た:なので僕が中国研修で初音ミクを持っていかなかったらこれはなかったなっていう。初音ミク様様なんですよね。
ミ:繋げてくれたんですね。
た:ものすごい中国でもいろんな人に見られました。この辺から頭おかしくなりつつあったんで(笑)
ミ:オープンになってきてますね。
た:オープンにだんだんなってきましたね。初音ミクをカバンに入れて歩いて2人で写真撮ったりして。
ミ:ははは。じゃあその師匠の先生に出会えたことで治療の幅が広がったというか?
た:そうですね方向性が決まったな、これが僕に必要なものでメンタルが落ちてる方でも治療ができるなってなったと思います。
ミ:より自信がついたというか?
た:そうですね、それはすごく思います。なので最初は師匠がいた場所に行ってたんですけど、僕の目線が身体っていうよりは心をずっと見るように意識はしてたので。自ずと僕を指名してくれる方が何かしら精神疾患をお持ちの方が多くなっていって、というような感じもあるので。開業した時はそこを1番押してやっていったという感じですね。
ミ:そうだったんですね。そこは揺るがずこれだっていうものがあったんですね。
た:あとは専門の頃から趣味の方もだいぶオープンになってコスプレしたり、同人誌を買ったり堂々とお酒が飲めるようになったので。お酒好きなのでお酒を飲みまくって。
ミ:好きなものの幅が広がったんですね。
た:大人寄りになりましたね。
売り上げ自体は1番よかった時と比べたら下がりましたけど、
でも今の方がいいなあって感じますね。
た:あとは僕もメンタルの面では開業してから燃え尽き症候群を経験して結構これもしんどくて。
治療をしてるけど僕もうつになってるんじゃないかなって思いましたね。
それぐらい落ちてる時期がありまして。それこそここちめいどのメンバーに話したりとか、当時まなさんとも話をして。なんとかなんとかって感じだったんですけど。
ミ:このつらさというのは高校生の時のつらさとはまた違うんですか?
た:あーでもこれが人生で1番キツかったかなって感じですね。方向性が見出せなくなったというか。
ミ:開業だったりとか専門学校の時のお話だとやりたい事や方向性がハッキリしていたのかなと感じたんですが、その中で方向性がわからなくなってしまったのですか?
た:開業してから売り上げをひとつ目標にやってて、売り上げがけっこう上がってですね、目標を達成してしまったらなんか、やる気がなくなりました。やる気というか、なんで働いているんだろう?みたいな。
僕は大きい目標を立てちゃうタイプなので、そのためにやろうってなってたんですけど、それが本当にやりたいのかとか考え出して。何も手につかなくなった時期が半年ぐらいですかね。全然何もできなくできなくなってるわけじゃないけどしんどいって思ってました。
ミ:うんうんうん
た:そうなってから1年半ぐらい経つんですけど、まだ1番すごかった時に比べると低空飛行だなって感じはするけどだいぶ元気になったかなって感じはします。地を固めようってなって、自分の夢や目標よりも家族に目を向けるようにしてから変わったなって感じですかね。
ミ:仕事で何をしたいかだけじゃなくてどう生きていきたいかという事ですか?
た:やっぱりもっと家族と一緒にいたいなとか。当時は売り上げが上がれば家族もみんないいよねって頑張ってたけど、子供が2人目が生まれてから妻がすごいしんどくなって。それで僕もしんどくなった気もするんですけど。まぁタイミング的には。もっと妻といる時間を増やしたりしてだいぶ家全体の環境が良くなったかなってところで僕も戻ってこれたかなって。
ミ:そうだったんですね。仕事の仕方を変えたというより生活のベースである家庭を変えたという感じですかね。
た:重点を置くところを変えたっていう。営業時間を短くして休みを増やして。前までは家に帰ったらみんな寝ちゃってる状況だったのを、そうならないように家に帰るようにして。
ミ:この業界は拘束時間が長めなのが当たり前なところもありますしね。
た:売り上げ自体は1番よかった時と比べたら下がりましたけど、でも今の方がいいなあって感じますね。その辺の見直しがすごくいいなって思いました。また元気になったら色々動き出したいなって感じです。
ミ:やりたい事は準備しているんですか?
た:いやちょっとまた考えたいなってとこですけどね。最近趣味が楽しくて楽しくてしょうがなくなっちゃってるんで。もっと生涯なにをやっていきたいとかもう少し考えたいなと思います。
ミ:でも趣味の時間も自分の時間があるからできることですよね。
た:趣味に今は振り切ってますね。そんな感じです僕の人生は。
治す、良くなってもらうのは当たり前なんですけど
楽しいなって来てくれるといいなと思ってやってます。
ミ:奥様のお話が出たのでお聞きしたいのですが、高校生の時に出会ったんですね。
た:そうなんです、高1からお付き合いをしまして。そのまま結婚した感じですね。
ミ:すごいですね!
た:僕には出来過ぎの素晴らしい女性で。ありがたいですね。
ミ:高校生活でつらいことや色々なことがあったとおっしゃっていましたが、当時はどういう存在だったんですか?
た:いやーでも基本弱いところは見せない感じでしたね、今もそうですけど。
ミ:そうなんですね!全てをさらけ出せるではないんですね。
た:しんどいなって相談は妻にあんまりしないですね。僕がめちゃめちゃしんどかったって話は家ではなるべく出さないようにしていたので。多分バレてるとは思うんですけど。察しがいい方なので。あんまり直接的に相談したことはないですね。
ミ:かと言って、しんどいんでしょ?聴くよ!という感じでもないんですかね。
た:陰で支えていただいたなと思いますね。
ミ:そっとしておいてくれるような優しさもあるんですかね。
た:そうですね、本当に妻がしっかり家庭をやりくりしてくれているから頑張れてると感じるのでありがたいですね。妻も働いてるのにすごいなって。万能ですよ妻は。
ミ:尊敬するような?
た:尊敬しますね、頭上がらないですね(即答)ありがたいです、感謝です。
不安になりますもんね、いつか捨てられちゃうんじゃないかな?って。
ミ:あははは
た:もっと頑張らないとなって。
ミ:色々とやってくれているから感謝もあるし頑張ろうって思えるんですかね?
た:はい、ある程度自由にさせてもらってる感もあるので。ありがてえしか言えないです。
ミ:社会人になってから記憶に残っていることに結婚式とありますがどう言った印象が残っているのでしょうか?
た:結婚式に行ったことがなかったので自分の結婚式が人生で初の結婚式だったんで。
ミ:あーそうだったんですね!
た:なのでよくわかってなかったんですよね。余興って僕らがやるものだと思ってたので自分でやったんですよ。他の人の結婚式に行ったらやってないじゃんみたいな。そうなんだって思ったり、2次会とか僕がやりたいようにやらしてもらったので面白かったですね。楽しいって感じでした。
ミ:ちなみに何をやったんですか?
た:余興は歌を歌いました!ウルフルズの『バンザイ』を当時一緒に仕事をしていた鍼灸師の人たちとバンドを組んで生演奏で。死ぬほど練習して、人生でこんなに同じ歌、歌い続けたことはないです。
ミ:あはははは
た:すごい前から準備して。僕歌がめちゃめちゃ下手なんですけど同じ歌を歌い続けて録音して。
一緒にやってたのがプロみたいな人だったので。CDも出してたことがあるみたいで。仕事が終わったら1〜2時間カラオケで僕だけ歌い続けてその人に「ここはこう」みたいな指示をされながら直していったらある程度いけるんだなみたいな。楽しかったですね。
人前で喋るのがそんなに苦じゃないので。2次回はエヴァンゲリオンの曲をいっぱい流したり、クイズ大会とかやって。問題も自分で作ってパワーポイントで流して。楽しかったですね。楽しいですよ、ミキティさん結婚式。超楽しい!
ミ:ヘェ〜楽しかったんですね。準備が楽しかったのもあるんですか?
た:僕は余興の準備が忙しかったですね。大変でしたね時間もなくて。
ミ:働きながらだと。
た:妻に隠れてやっていたので。2次会の準備は全部僕が1人でやったので、景品の準備とか。僕に2次会くれ!って感じで言ったので。結婚式は新婦さんがメインじゃないですか。
ミ:達成感ありそうですね。
た:めちゃめちゃ楽しかったですね。ミキティさんももしやるなら是非、楽しいですよ。
ミ:せっかくやるなら楽しいものにしたいですよね。
た:2回3回やりたいなって思いましたもん。
ミ:コロナが落ち着いたらたくさんプロデュースのお集まり会もいいですね。
た:そうなってくると恥ずかしいですね(笑)
ミ:沢山お話を聞かせてくださりありがとうございました。全体を通して思ったことなどはありましたか?
た:僕ってどんな人間なのかなって思った時に、小学校の話が人生のポイントで。人と違うことと自分の状況を見極めて、みんなと違うことをやろうっていう僕の考えが大きいですね。みんながやってないところに行きたいっていう感覚が強いんですよね。
上には上がいるので同じ土俵で戦ってもダメだなっていつも感じるので。僕は逃げだと思っていたんですけど、ここちめいどに入って逃げじゃないなって思うようになりましたね。
それで過去を振り返ってみて小学校からやってるぞと思って。っていうところに落ち着いたんですよね。当時から自分とは何なんだろう?できることは何だろう?と考え続けてたと思います。
ミ:うんうんうん。
た:専門のときに整体で働いていた時のエピソードで、上の人から新規の人は無指名で入っていけるので下っ端の僕が入ることができないんですよ。他の人のお客さんに一緒に入って次はやってほしいと言われて僕の予約が入るみたいな。
僕の色ってどうやって出せるだろう?と思った時に施術のクオリティじゃ出せないんですよねどうしても。ってなった時にアニメの力が出てきて、どういう人が多いのかというのをピックアップして結局プリキュアと仮面ライダーや戦隊モノをお子さんが見てて一緒に見てるお父さんお母さんが多かったので。
そこを徹底的にトークに入れるようにしました。そこをペルソナにして。そうすると印象に残って。
ミ:へえー!
た:その辺りからエヴァンゲリオンが好きでって話を出していくと僕と話したいから施術を受けたいっていう方がけっこういたので。みんなは施術をうまくなろうとしてたけど僕は自分の色を出してお客さんともっと出会おうみたいな。
違う方向で違う敷居で戦うっていうのがいいな。それをよくやっているなというのが僕の人生観ですね。
ミ:振り返ってそこに行き着くなっていう。
た:その最初が小学校のバスケットボールの話。強いて言えば先生との出会いから自分を知ってというところですね。
ミ:そんなたくさんのところに我こそはオタクだという方には行ってみてほしいですね。
た:治療や体の話を全然しない時もあるのでダメだなと思いつつも(笑)
みなさんが楽しんでもらえればなっていつも心がけて治療してますね。治療は楽しい場所、僕の楽しい場所にしたいのでね。治す、良くなってもらうのは当たり前なんですけど楽しいなって来てくれるといいなと思ってやってます。
ミ:そんなたくさんと楽しくお話することで体も元気になって心も元気になってという場所を作っているというのが、推していきたい!って思いました。
た:ありがとうございます!