特別インタビュー:松永みかほ

話スヒト:みかほさん=み

聞クヒト:しおさん=し

【幼少期】

犬や猫を拾って帰るのが好きでした。

昔小学校の校門のところにダンボールに捨て犬とか捨て猫とか、当時はあったんですね。

それを連れて帰って、小学校低学年の時には目が開いてないような子犬か子猫を拾って帰って、まだご飯が食べれないような生まれたてみたいな子を拾って帰って、育てようとしてたみたいです。親によると。

 

親御さんは拾ってきたことに対してどうだったんですか?

 

母親はそうですね。拾ってきてどうするの?って

父親はすごい動物好きなので、あまり言わなかったです。

だいたいそういう捨てられてる動物はなかなか生きれないんですけど、大丈夫な子はそのまま飼ってたりしました。猫は。

 

今に通じる感じですね。

 

【中学生時代】

 

中学はすごく楽しくなくて、あまりハッピーじゃなかったです。

校則が厳しくて、中学の頃って。

それがすごく嫌で、ものすごく反抗していました。

 

反発心からなど動機はあると思いますが、なぜかは覚えてますか?

 

反発ですね。だと思います。

校則がすごく理不尽に思えて、例えばスカートの長さ、カバンの厚さとか。

指定のカバンがあったんですけど、昔の不良ってカバンを潰して細くして使う時代があったんですけど、先生が定規で厚さを測ったりとか、そういうのが、すごくくだらなく思えて、すごく反抗的な、いろんな事に反抗してました。

鍼灸学校に入ってからも集団生活が嫌な時がたまにあって、バレーボール大会とか出たくないって思ってたかもしれません。

 

それは中学生くらいの集団生活嫌だなってところから繋がっていそうですか?

 

元々得意ではないんだと思います。

大勢での活動とか、強制されることが嫌。ルールを守りなさいって言われることが。

自分が納得してればいいんですけど、そうじゃないルールに従わされるのがすごい苦手なんです。

 

好きだったものが、この時の思いなどが繋がっていたりしますか?

 

なぜイギリスの音楽が好きかはわからないですけど、みんなが違う日本の音楽が好きだった時に、一人で、みんなと同じのが嫌。

音楽はすごい好き、今でも好きです。

コンサート行ったりするの好きです。

今はクラシックとかオーケストラのやる音楽を聴きに行ったりとか、あとミュージカルが好きです。

 

【高校時代】

高校はすごく自由でした。びっくりするくらい自由で、中学とこんなに違うかなと思いました。

それで楽しい思い出がありますね。

友だちができて、バンドのキーボードの人だったので、コンサートをライブハウスに見に行ったりとか、私は楽器とか歌とかダメなんですけど、練習してるのを覗きに行ったりとか、そういうのが楽しかったです。

ライブハウスに行ったりするのが大人っぽくて楽しかったですね。

 

中学生の時からのながれでも大人っぽいものに傾倒する感じだったんですね。

 

そうですね。だから私も友だちと授業を抜け出して、原宿とか遊びに行ったりとかが今でもいい思い出です。

学校に入って9時45分になると門が閉じられるんですね。

抜け出す時はフェンスをよじ登っていかないといけないんで、フェンスをよじ登った記憶とかそういう楽しい思い出があります。

 

部活関係はなにかありますか?

 

ちょっとだけ柔道部に入ったんです。

高校の頃は女子の部員は少なくて、2人か3人くらいだったかな。

柔道自体はすごく面白いと思ったんですけど、腰を痛めてやめてしまいました。

 

柔道は嫌でやめたわけではなく、怪我で辞められたんですね。

 

それは治療とか受けたんですか?

 

受けました。鍼治療。子どもの頃から通ってるかかりつけの先生が普通の内科の先生なんですけど、趣味で鍼をする感じで、たまに思い出したように鍼をする先生で、腰が痛くなったっていったら、じゃあ鍼してみると言われ鍼を受けました。

 

どうだったですか?

 

あんまり覚えてないんですけど、そんなに覚えてないってことは大きく良くも悪くもならなかったんじゃないかと思います。

 

それが初めてですか?鍼灸の経験は?

 

そうですね。

ほとんど記憶にないっていうか、普段は思い出さない。

私の中では違うもっとすごい衝撃的に効いた体験があるので、それを鍼灸の初めてだとずっと思ってました。

今そういえば内科の先生のところで受けたっけと。

 

【高校卒業後】

高校卒業した後短大に行ったんですね。

本当は4大行きたかったんですけど、父が女に4大なんか必要ないっていうか、学は必要ないって考える人で、勉強すると理屈っぽくなっちゃうからダメみたいにそういうことを言う人だったんですね。

でも短大生活は楽しかったです。

部活にすごく打ち込んで、アーチェリーをやってたんですけど、それがすごく性に合って、今もすごく良かったです。

 

どの辺が性に合ったんですか?

 

アーチェリーって瞑想するようなところがあって、的を狙う時にすごく自分の中が静かになるんですね。グーッと集中して。

そういう感覚がとても好きでした。

もしかしたらゴルフとかも性に合ってるかもしれないですね。

例えばテニスみたいな早く動かなきゃいけないものはちょっと苦手なんです。

 

今でも瞑想はされたりするんですか?

 

瞑想をしようと思って、瞑想はしないんですけど、ぼーっとしてることがすごく好きなので、気がつくと瞑想状態なのかもしれません。

息をしてるだけって感じ。

いろいろ考えてることを一瞬捨てて、ぼーっと犬を抱っこしているのが、自分にとっての瞑想みたいな感じですかね。

 

アーチェリーに関することが短大時代は多いようですけど、記憶に残ってること、嬉しい事、辛かったこととかありますか?

 

練習は体育会で短大なんですけど、四大の人たちと一緒に体育会として活動していたので、すごく練習とか規則がその時はものすごく規則が厳しい頑張ってついていったんですけども、先輩後輩の関係とかもすごい厳しくって、それは大変でした。

でもリーグ戦で勝ったりとかそういうのが、達成感があると「やったー」という感じでいい思い出ですね。

 

【社会人】

社会人は、たぶん病気のことをいろいろ書いてあるんじゃないかと思うんですけど、ちょっと病気をいくつかして、パニック障害になったりとか、あと子宮内膜症になったりとか、手術をしたのは社会人の時だったと思います。手術をしてみたりとか、割と病気づいてました。

子宮内膜症の手術は痛みが強いのと、あと癒着がひどいので「手術するしかないでしょう」っていうお話で、手術をしたんですが、私2回手術してるんですけど、1回目の手術の時に麻酔がうまく効かなかったんですね。

麻酔って最初に意識を落としてそれから呼吸抑制をしますよね全身麻酔って。

それが私は意識が落ちないタイプだったみたいで、意識はあるんですけど、呼吸が出来ない状態になってそれでカクッと意識が。

息ができないって思いながら意識がなくなったんですよ。

その手術の後にやっぱり息苦しいということがすごく怖くて。

パニック障害の原因の一つだと、それだけじゃないと思うんですけど、大きな原因かなと思います。

 

ちなみに内膜症はおいくつぐらいで?

 

元々すごく、割と若い時から生理痛が激しくて。

でも母も同じようなタイプだから大人になれば治るって言われたとかって言って、そんなもんなのかなと思ってたんですけど。

本当に歩けなくなるぐらいお腹が痛くなって、病院に行ったら、子宮内膜症ってその頃まだ珍しいというか新しい病気ですよね。

だから最初はよくわからなくて子宮内膜症かもしれませんみたいな。感じでした。

 

年齢的にはおいくつぐらいなんですか?オペされたとかは?

 

最初のオペは27歳とかぐらいかな。

 

2回したっていうのは?

 

内膜症って治るわけじゃないので、またお腹が痛くなってきて、えっと1回目は卵巣嚢腫も、内膜症で卵巣も腫れてたんですけど、2回目もまた卵巣が腫れて子宮筋腫もあって、それで卵巣が大きくなってきちゃったので、開腹するか、腹腔鏡でやるか、いずれにしてもちょっとお腹の中見ましょうってお話で手術しました。

 

それはだいぶ年齢が離れてるんですか?1回目から。

 

もう2度目は40歳近く、40歳過ぎかな、もうだいぶ子どもを希望しないですよねって病院で確認されるような歳です。

 

それは現状としても機能は残っているんですか?

 

残しました。

子宮筋腫とか卵巣嚢腫があれば卵巣もとっちゃうんですけど、なんか勿体無いような気がして、その時もう自分は東洋医学の道に入ってたし、あるものを全部取り去っちゃうのはどうなのかなと思って。

最初に行った大学病院はやめて、残してくれる病院を探して、子宮は残してもらいました。

 

現状はどうなんですか?そこから10年近く経たれてるのかなと思うんですけど。

 

今年55歳なんですけど、閉経とっくになって、もうすごく素晴らしい、快適です。

 

2度目のオペ後に関して、子宮周辺の症状というのはそんなに出てない状態?

 

そんなに出てないです。

だから閉経がすごく嬉しい。どうも女の人の中で珍しいですね。

閉経して「あぁこんなに体が楽」って思います。

鎮痛剤から解放されるというか、寝込まなくなったし、今までで一番健康かもしれません。

最近が。

 

逆にいうと閉経までは常に鎮痛剤が必要だったんですか?

 

手術のあとしばらくっていうのはすごい体調がいいんですけど、やっぱりまた痛み止めが必要になって、一番ひどい時は痛みがきてから痛み止めを飲んでも効かないんですよね。

震えるぐらい痛くて、だから本当に怖くて、毎日鎮痛剤を飲むようなそんな感じです。

 

ちょうど40歳前後くらいで2度目のオペされてて、そこから閉経まで時間ありますよね。

その間更年期とかどうだったとかあるんですか?

 

更年期はやっぱり普通に汗をかいたりとか、ホットフラッシュがあったり、眠れなくなったり眠りの質が変化したりとかいろいろ普通にあるはあったんですけど、その更年期のマイナス面よりも、とにかく痛みから解放されるそっちのプラスの面がすごくわたしには大きくって。

更年期はすごくポジティブなものとしてかんじられます。

 

パニック障害についてはどうですか?

 

パニック障害は、今は基本大丈夫。

お薬ももうずっと飲んでないし、なんにもないんですけど、やっぱりその当時は本当に辛くて、もう思い出すのが怖いくらいですね。

 

それはオペの事も一因としてあったって事ですけど、何かきっかけはあったりするんですか?

 

一番最初にパニック発作を起こしたのって、家族と喧嘩をした時か、父親が亡くなった後かどっちかなんですけど。

まあどっちかでパニック発作を起こして、その時自分ではパニック発作ってわからなかったんですね。

手が痺れて動かないとか、口が痺れてきて、夜間救急に行って過呼吸ですよって言われて。

私がパニック障害になった時ってまだパニック障害ってあんまり今ほどポピュラーではなくて、周りからも何それみたいに言われるような感じでした。

自分でも何それパニック障害って?って病院で言われて思ったぐらい。

 

経過としてはどう言ったことを辿って今の落ち着いているようなところになったとかはありますか?

 

パニック発作が始まってからとにかく発作が何度も出て、外に出れなくなっちゃったんですね。広場恐怖症じゃないんですけど。

外にも出れないし、夜寝るのも怖いっていうか、もうどうやって自分で呼吸をしていいかその呼吸のペースがわからないぐらい、とにかく苦しくて苦しくて、犬を抱っこして犬の呼吸に合わせて呼吸をしたりとか。

やっぱり多分パニック障害の人はうつ病なんかを併発される人が多いと思うんですけど、私もその口で。

もうなんか本当に死にたかったですね。

でもそういう中で同じ病気の人とネットで知り合いになって、オフ会みたいなのがあって、やっと同じ苦しさを共有できる人たちが見つかって、なんとなく良かったのかなぁ。

それでその後父が亡くなって、話すと長くなるんですけど、父の死がきっかけで鍼灸学校に行こうって多分思ったんですね。

鍼灸学校受験する時って私まだ電車とか乗れなくて、パニック障害なので。

家族に送ってもらって行ったんですけど、学校に行きたくて、行動療法みたいにそれが感じになったんじゃないかと自分で思うんですけど、少しずつその学校に通う事で回復していけたんですね。

在学中に薬もやめて、だから割と長くいい状態がずっと本当続いて。

 

その間も薬やめる時も通院というか、お医者さんにはかかってはいたんですよね。

 

もちろんです。

お医者さんにその心療内科とか精神科とかいろいろ行って薬をフルコースでもらいました。

それで結構薬を飲んでたなと思って、抗うつ剤とか、その気持ちを穏やかにするお薬とか。

だからやっぱりやめるのが大変でした。

やっぱりやめるのが怖いんですよね、ああいう薬って。

私がラッキーだったのは、鍼灸の学校って附属施設とかで治療を受けられますよね。

ああいうのとか、漢方ももらえたので、私がいた学校って、そういうのが多分すごく助けに、抗うつ剤とかやめる、パニック障害の薬をやめる時に、東洋医学が助けになってくれたと思います。

 

なるほど。

じゃあ鍼灸学校に行く行動やそこの環境とかが、そういうところの改善に、みかほさんにとってはいい事に繋がったという形だったんですね。

 

はい。そう思います。

 

あと先ほどのところで、お父様が亡くなられたことが鍼灸の学校に進もうかなというお話が聞こえたかなと思うんですけど、その辺りについてお話できる範囲で教えていただけますか?

 

父が最後、やっぱり人が死ぬ時って結構苦しいんだなと思ったんですけど、もう痛み止めとか何をしても苦しいは苦しいんですよね、最後いろいろ不快症状もあるし。

そういう姿を見ていて何か出来ないかなと思いながら、結局何もできないまま見送っちゃったんですけど、それがすごく悔いが残って、それであのその後しばらくして急に「そうだ鍼灸学校に行こう」って急に思い立ったんです。

その時はもう自分は鍼灸の経験があって、すごく効く素晴らしいものだって思ってたので、私も鍼灸の学校に行こうって急に思いになって受験を決めました。

 

お父様の最後のあたりで痛みの軽減などについて何か出来ればという思いがあってそういうところに至った感じなんですかね。

その時に鍼灸やってみようとなるにはそれなりの理由があったと思うんですけど、ご自身はどんな時に鍼灸で効果を感じたんですか?

 

ギックリ腰、ひどいギックリ腰をして、動けなく、急に歩けなく、腰が抜けちゃったんですね。

それで全然一歩も動けなくなって、救急車で運ばれたことがあったんです。

で病院に行ってもベッドの上だから動くなって言われて、「え〜そんなの、その生活続けるの」って不安になってたら知り合いがいい先生いるから1回行ってみたらって言われて、勝手に無理やり退院をして夫に連れて行ってもらいました。鍼灸院に。

行く時はもう本当によろよろで、それこそお手洗いに自分で行っても立てないような状況だったのが、帰りは歩けるようになって帰れたので、「本当にすごい」って思った記憶です。

すごい効きました。深谷灸をする先生で、今思えばですよ。その時は知らなかったですよ鍼灸師じゃないから。

あっついお灸をされて「あぁ」って思ったんだけど、帰りは「私歩ける!」と思ってビックリしました。

 

そこがみかほさんにとって鍼灸ってすごいなって思うところだったんですね。

 

そうです。

 

鍼灸の学校はどうでしたか?

 

すごく大変でした。鍼の練習とか痛くて。

学生が中医がメインのところだったので、中国鍼の練習とか本当に涙が出ちゃうような感じで、あと結構授業も厳しかったですね。

卒論があったりとか、学校に入ったのが年がいってからだったのでなかなか覚えられないし、解剖とか本当に大変だったけど、でも楽しい事もいっぱいあって。

まあ行って良かったなぁと思いました。

 

【結婚】

 

よく変わり者と家族から言われて。

私が結婚する時に挨拶にきますよね。

その時にうちの父親が「いいのか?うちの娘は本当に変わり者だぞ」っていうぐらい、変わり者と思われてました。親、兄弟に。

 

それを実際言われてどう思ってたんですか?

 

「そうなのかなぁ」って思ってました。

いっつも言われてたから、そうなのかもしれないって思ってました。

 

ご結婚されるってなった時にはそういう部分を感じたりすることあったんですか?

 

そうですね。

私とは違う人だなって、私人見知りも昔からすごく激しくて、でも夫はそういう感じの人じゃないんで、ちょうどいいんじゃないかなと思いました。

夫婦ってやっばり足りないものを補うのが理想な気がして。

それは時間のなせる技っていうか、最初はねやっぱり「もうっ」って思う事も多いんですけど、長く時間が経つとなんとなく良くなるというか、うまくいくようになってるんですね世の中は。

 

【犬について】

最初は一頭から始まったんですけど、私は特定の犬種アメリカンコッカースパニエルという犬種がすごく好きで、ブリーダー業みたいなお家で繁殖させたりとかしてて、それでだんだん増えて、最大で6頭いました。同じ犬種で同じ色の子が。

動物のペットの飼い主に対する信頼っていいなって思うのと、犬・猫でもそうだと思うんですけど、なんか悩みがあるとくるんですよね、そばに。

それでじーっとそばにただいてくれる。それがすごくいいんですよ。グチグチ犬に言うんですねいろいろ悩みとか「もう本当やんなっちゃうの」とか。

別に犬はわかってないと思うんですけど、なんかすごく癒されるっていうか、なんかこれこそまさに傾聴なのかしらって本当思う。

犬に救われることが多いです。

 

みかほさんがちょっと嫌だなって別に口に出してなくても、その雰囲気だけで寄ってきてくれてただただ聞いてくれるみたいな感じなんですね。

 

何を言っても嫌いにならないでくれるからそれがいいですね。

 

【治療について】

本当にお灸が好きなんです。お灸が中心で。

たまにYSNA頭の鍼をしたりするんですけど、やっぱりお灸の方が好きですね。

 

症状としてはどういったことをみられるんですか?

 

婦人科系と不妊症とか、あとパニック障害の人とか、あと癌の人とかですかね。

 

パニック症にしても、婦人科にしてもご自身が経験されてるから説得力もありそうですよね。

お灸がメインで鍼刺さなくても症状の改善はあるものなんですか?

僕はお灸をそれほど使わないので、すごく興味深いんですが。

 

私が初めて経験した時みたいに、お灸で本当に良くなったので、すぐに効くこともありますよね。

こっちがビックリしちゃうというか、リップサービスじゃないっていうようなこともあるんですけど、でも全然効かないこともあります。

 

いろんなお灸を使うんですか?

 

いろんなお灸つかいます。

せんねん灸みたいなものも使いますし、ひねってするお灸も、熱いのとか、熱くないのとか。

あと紫雲膏灸みたいに紫雲膏を台にしていっぱいするようなやつとかもやったりします。

 

【ゲーム】

好きなところでFFってありますが、ゲーム好きなんですか?

 

その頃好きだったんです。FF7がすごい好きで、それこそ徹夜でやりました。

その頃ゲームいくつかやってたんですけど。

 

FF7はプレステの時って事ですよね?

 

そうです。

もう衝撃的でした。すごい。

 

クラウドですよね。

 

よくご存知ですね。

私は曲がすごく好きで。曲と登場人物が好きで。

エアリスさんが途中で死んだ時はあまりにもショックでしばらくゲーム継続できないくらいのめり込んでました。

 

【車】

この前車屋さんに死語だって言われたんですけど、ホットハッチっていうタイプの車が、ホットハッチって今なんて言うんだろう?

そういうカテゴリーがないのかな。

小さめでキビキビ走る車が好き。

この前車屋さんに「いやー僕その言葉久しぶりに聞きました」とか言われて。

 

当時のシビックとかですかね。

 

フランス車が好きで。プジョーが好きで。

あとマツダのロードスターとかマニュアルが好きで。

キビキビ山道を気持ちよく走れるような車が好きです。

今は仕事にはNBOXで行って、あともう一台マニュアルの車があります。マツダの日本車なんですけど。

マニュアルが運転出来なくなったらもう免許返納しようかねって言ってるんです。

一番最後に締めに乗るんだったら、今だったらフィアットのアバルト。

今回もそれをすごく迷ったんですけど、もう少し後でそれが私の上がりの車かな。

 

そのお話の仕方の時点で車好きですよね。

 

そんなことないですよ。

ちょっとだけ好きって感じで、すごいスピード出したりするわけじゃないんで、楽しく運転するのが好きです。

 

いいですよね。アバルト。

では締めましょう。

だいぶ長時間になりましたが、ありがとうございました。