特別インタビュー:加藤久仁明

 

話スヒト:加藤久仁明=くに
聞クヒト:米倉まな=まな

【幼少時代】

まな「幼少期の頃に印象に残っていることはありますか?どんな子でしたか?」

くに「まあ、今はこんなナリだけれど、小さい頃はまあもう少しかわいらしくて女の友達が何名かいました。そうポジティブな記憶はなくて、自分は小さくて気も強いわけじゃないので、いじめのターゲットにされることもあって小学生の頃は苦労した。」

【中学生時代】

くに「だから、中学校に入ってからは、体を鍛えようと思って厳しい野球部に入った。いじめもやり返したりしているうちにおさまっていって部活ばかりやっている記憶が残っています。」

まな「中学の頃にはもう彼女の話が出てくるのですけれど?」

くに「そうだね(笑)中学生の3年の頃に仲が良い女の子がいて付き合うようなこともあった。よくわからない振られ方をして女性に対してちょっと不信になった。」

まな「今も女性不振がある?」

くに「今はそんなこともないと思う。」

まな「中学で色々あったけれど、今はもう立ち直っている?」

くに「立ち直っている。昔から考え込むタチで恋愛ってなんだろうって考えるようになった。恋愛に憧れを抱きつつね。人間って何で付き合うんだろうとか。」

まな「そっから。付き合うとは?」

くに「そう、結婚する前に付き合う。付き合うってなんだろうって高校時代にすごく考えた。」

【高校時代】

まな「じゃ、高校生の時はどんな感じでした?」

くに「部活中心の生活していた。陸上部と競技スキークラブをやった。それからオタクの方によっていきましたね。」

まな「三次元と付き合う事とはどういうことなのかと考えながらそういうのにハマっていった?」

くに「そうですね。そういう疑問から感情なんて冷めるんだからと漫画、アニメの方にはまっていった。裏切らない2次元の方がよいと。それから恋愛、ファンタジーものにハマっていきましたね。」

まな「ちなみにテロリストに学校が襲われるとう妄想したのはいつ頃?」

くに「高2の頃かな(笑)」

くに「高校一年生の冬に足を壊して、アキレス腱を痛めたんだけれど通院してもよくならなかった。医者からとにかく休めと言われてリハビリをして…それでも良くならないけど、無理して走るから痛くなってダメだったんですよ。

そんな感じで高校1年生を棒に降って、やることなくて、でも部活をやりたかったから槍投げをしたんですよね。

そしたら2年生の秋ぐらいに肘を壊してしまって。ほんとにやることなくなっちゃって、そこで挫折を経験しました。

スポーツ選手として優秀だった訳ではないけれど記録を出して、体を鍛えてという経験がなくなってしまった。

3年生の直前に足も肘も治ったけれど最後の大会まで数ヶ月しかない。後輩にレギュラーを取られたりもするし、まあ、槍投げは自己ベストを出せたからこんなもんか、って思って部活が終わった。

ここぐらいから心理学と医学に傾倒していきました。

あとは心残りは受験の情報を集めたり、英語をちゃんとやっておけばな」

まな「それはどうして?」

くに「受験を失敗したんだけれど、その要因は英語が苦手だったんですよね。それをどこかのタイミングで克服していたら違う人生だったのではないかなと思う時があります。」

まな「受験で英語が必要だったの?」

くに「心理学って国語、英語、社会が中心で英語が苦手だったから心理学部に行けなかった。」

【その後と大学】

くに「臨床心理士になりたかったけれど、学力が足りなくて浪人した。

せっかく浪人するなら医学部目指してやろうと思ったけれど、国語の成績は伸びるけれど他が横ばいで、医学部に入れなくて、モラトリアム、自分探しをした。

悩みにハマりすぎて、信仰に目覚めかけた。宗教者になる進路もいいなと思って適当な大学に入った。けれど、大学1年の頃に、問題がわかってその信仰はやめたんですよ。

そしたら今度は大学行ってる意味や意図が分からなくなっちゃって。ああ、俺なんのために生きてるんだろうと、灰色の生活になる。

また、その時2浪していて2年差があるので、10代の差は2年大きくて、周りが子どもに見えてしまう。そしてその時流行しいたMMOにどはまりしてしまうんですけれどね。

まあクラブの自治会みたいなものの役員やったり家庭教師のアルバイトしたりしました。

で、就職活動にてこずり、どうしようと思ってたら大学の先輩が大学院を受けてみない?と言われて受けたら受かってしまったんで大学院に入っていった。」

【大学院時代】

まな「大学院はいかがでした?」

くに「それが他の大学の専攻が違う所に入ったから勉強にめちゃくちゃ苦労した。」

まな「科が違うんだ?」

くに「文系から理系みたいな感じなんですよ。統計を勉強しなおしたり、入った先が人間工学やっていたので、心電図とったり生体の変化を見たり。また人間工学ってプロダクトデザイン、製品デザインの要素があって、企業とコラボして研究したりしている。教授のテーマを一部もらってインターンシップをしながら研究をしていった。学会発表を頭真っ白になりながら発表し、なんとか泊まり込みしながら修論書いて、どうにかこうにか卒業しました。

途中でだいぶいやになって暫く学校に行かなかったけれどね。」

まな「どういうところが嫌になった?」

くに「学部生からの持ちあがりだから、コミュニティーがすでに出来ていて、それぞれの研究室にまとまっている。それに部活とかたむろしてる場所も知らなかったし、なかなかその大学のコミュニティーに溶け込めなかった。友人が先輩しかいない。」

【社会人:SE】

くに「その後はメーカー子会社に入って入社していくわけです。そんなにパソコンに苦手意識もなかったので、SEとして就職していきました。研究者に憧れはあったけれどこれは無理だなと思ったし、医者にもなれなかったから普通の人になろうと思って就職した。そこそこ大きい会社に入れたので、そこは良かったとは思った。」

まな「SEさんはいかがでした?」

くに「規模の大きい会社で部署によって働き方が違う。僕のいた部署はきつくて、それにSEとして、プログラムを鍛えたりとかを学生時代にしてこなかった。しっかりと研修もあったけれどついていけなくて。何年か経ったらやめようと思っていた。サラリーマンが向いてないと思ったけれど確信に変わった。」

まな「どういうところが?」

くに「会社の中でどんなに偉くなっても、死ねばみんな仏だよね。会社って小さい村の中でポジショニングを取っていく。流動性の少ない関係性の中でそれをやるのはしんどいなと思った。もちろんいい人も沢山いたけれどね。いつやめようかなと思っていたけれど、だんだん体が壊れていく。午前様になるのもしょっちゅうで、自律神経がおかしくなって、寝れなくなって、調子も悪くなる。これは無理だなと思うことがあって、そのうち残業中に動悸が止まらなくなる。で、病院にかかって休んで、よしやめよう!と思った。当時精神科には診断書書いてもいいけれど、出世できなくなるよと言われた。

それでもいいのか?と確認されて、辞めるつもりなんでいいですと言った。休職期間は1年ぐらいあるので、地元に帰って、鍼灸師になろうと思ったのかな、確か。それはSEの時に不調になって、鬱気味だし、アトピーが悪くなって体調改善のために鍼灸にかかったら、気持ちが軽くなったのをきっかけで俺は鍼灸をやるべきだと思って、休職中に受験して鍼灸の学校に入った。」

【専門学校】

くに「気が緩んだのもあって投薬してたのもあって、めちゃくちゃ不調になっていた。新しいことが覚えられなくて、頭がこんなに老化したのかなと思った。結局一年留年することになった。でもそんなこんなで、徐々に体も良くなって整形外科のバイトをして、国家試験も一発で資格を取った。体調は完全じゃないなと思ったけれど整形外科に就職した。あんまの資格を活かしてリハビリの仕事をしていたので運動疾患には強くなったと思いますし、マッサージして人の体を触っていたので、技術自体は伸びて行ったと思います。その延長上に鍼を使いながら施術をしています。」

【開業】

まな「今開業しているわけですが、すぐに開業したの?」

くに「開業までに1年半、訪問マッサージの会社で働いてました。」

まな「今やっている鍼灸院は?」

くに「ビルの1室を使って名古屋でやってます。個人院です。」

まな「開業は元々したかった?」

くに「よく分からないんだけれど、そこに関しては色々あって、勤務だと給料が上がらないから開業しかないなと思った。一人で生きていくなら勤務でもいいけれど、収入としてはいくら技術が上がっても頭打ちで、そこを打破したかったら、開業しかなかった。」

まな「開業してみていかがでした?」

くに「自由な分、苦しい所はあるなと。」

まな「苦しい所」

くに「集客しなきゃだし、経営をしていかなければいけない。会社の時は与えられていた仕事をしていればよかったけれど、それ以外のことをしていかないといけないのは苦労があるなと。いい技術を提供していれば自然と人がくるのは今の時代は難しいなと思っています。こちらから自分はこういう人間だよ、と発信していかないと、なかなか厳しいんだろうなと思っています。開業前は結構しんどくて、交通事故で身体を痛めたりして、この一年充電期間で低空飛行な状況でした。雇われとは違う、開業にステージが変わることにようやく慣れてきたのかなと思います。でも、一会社員より、小学生ぐらいから経営者にはずっとなりたかったから、ずっとチャレンジングする人生を送っていきたいと思っています。」

【ここちめいどで思い出深い事】

くに「一番は学会発表。自分にとってのここちめいどは、鍼灸って色々できるけれど、メンタルに効果があって、追求していく人もいると思う患者さんを見た時にそういう疾患をみていける場はないかなと思っていたら、まなさんがそれを拾って集まりを作ってくれたから感動しました。同じ方向性を持って同じ方向に努力していく集まりの中にいて、勉強していけることは価値がある事だなと思っていて、自由研究にて鍼灸とメンタルの関係をくっつけて、鍼灸師、鍼灸として社会貢献をした先に救われる人が増えてくれれば、それが僕の本懐であるし、だから学術的な研究が必要なんだよと言った時に、まなさんがよしやろうと言った時には本当にびっくりしました。」

まな「そんな早く物事が進むとは思わなかったでしょ笑」

くに「おっしゃる通り。自由研究に出した時は、開業して10年後ぐらいにできたらなと思っていたけれど、いろんな人を巻き込んでやってしまおうぜっていうところが本当に感動しましたね」

まな「それもくにさんが今までの鍼灸とメンタルの内容を教えてくれたり、うつ病治療ガイドラインに載せるために何が足りないのかと言う話をしてくれたから、じゃあどういう人がいたらできるか?と考えた時に私は一人でやるのは無理だったから、松浦先生だったりに声をかけさせていただいた。でも松浦先生と私だけでも無理で、くにさんがその間で学術的な翻訳をしてくれていたから、結果的に福岡大会のデータ集積ができたと思っていて、本当にくにさんがスタートだからね」

くに「とはいえ、現実なんだけれど、思いとか考えとかがいろんな人の考えや協力をもって現実になっていく事に未だに慣れない自分がいる。本当にそれを拾ってくれた事は感謝してるし嬉しかった。それが実現することは先になるだろうけれど、なんとか叶えられるように努力していきたいと自分でも思っているから、ここちめいど入ってからの私の人生は激動ですw

今、いろんな人のきっかけや後押しでここにいる。それは自分の自我やエゴや強さとかそういう自分一人のパワーじゃなく、他人の力を得て切り開いていけている。これは今までの人生の中で感じてこなかったので、大きなうねりの中にいるような気がしています。」

まな「まさか私もここちめいど立ち上げた時に1年後に学会発表してると思わなかったからね笑」

くに「凄いスピード感でしたね」
くに「ここちめいど入ったことがきっかけでいろんな人たちや外部のサロンの人ともあえて、自分の人生が変わっていってるのを実感しているので、出会った人みなさんに自分もギブできたらいいなと思っています。会いに来てくれたかた、助けて欲しいと言っている方には手の届く範囲の方には手助けしたいと考えているので、何かご縁があったら、いらしていただけたら幸いです。」

加藤久仁明
鍼灸かいしん堂
愛知県名古屋市東区東桜1-9-8
板柳ビル5C
10時~20時

090-3567-0923