特別インタビュー:金野久美子

杉山:杉

久美子さん:久

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【鍼灸整骨院】

杉「ご主人とやられてるんですか?」

久「そうですね。千葉県千葉市で、夫婦で鍼灸接骨院をやっています。」

杉「千葉県千葉市で。今度12月で丸9年で10年目に入るって感じですね。」

【幼少期】

久「実家が蕎麦屋で。えと、年子で姉がいるんですよ。両親は姉の方、姉が人見知りで姉を可愛がっていて、私は同居していたおじいちゃん、おばあちゃん、祖父母に育てられた感じですね。おじいちゃん、おばあちゃん、両親、いとこ、父の姉夫婦も一緒にやっていて。年の近いいとこも兄弟のように育っているんですけれども。だけど仕事しながら両親は姉の世話で手一杯だったので私はもうおじいちゃん、おばあちゃんに育てられってって感じでしたね。」

杉「そんな感じなんですね。全く、お姉ちゃん、久美子さんといった感じで別れる感じだったんですね。」

久「そうですね。私はおじいちゃんとずっとお風呂も入っていて、寝るのもおじいちゃん、すごいおじいちゃんっ子で。風邪引いて寝込んだ時もおばぁちゃんが面倒見てくれるって感じで。」

杉「そうなんですね。それに対して思い入れのあるエピソードとかいかがですか?」

久「そうですね。両親が父は怖いイメージ。逆らっちゃいけないみたいな。」

杉「逆らっちゃいけない?」

久「はい。もう、でもおじいちゃんがかばってくれて。」

杉「お父さんもおじいちゃんよりちょっとこう強い感じなんですか?」

久「そうですね、父の方が強い感じでホント気分屋で挨拶しても父の機嫌が悪いと怒られるみたいな。」

杉「へぇ、そうなんですね。」

久「だから私は小さい頃はおじいちゃん、おばぁちゃんと寝て、おじいちゃん、おばぁちゃんと朝起きて、で保育園行く前におじいちゃん、おばあちゃんがお店の仕込みするんですよ。お蕎麦のつゆとったり、お店の掃除したりを一緒にやって、しぶしぶ時間になったら保育園に行くみたいな。」

杉「しぶしぶ?」

久「保育園楽しかったんですが、おじいちゃんとおばぁちゃんと一緒にいたいみたいな感じですね。」

杉「相当好きだったんですね。」

久「もう、大好きでしたね。そうですね。おじいちゃんが私が小学校3年くらいの時,

10歳くらいの時に病気になって、それで結構入退院するようになって、お店も父に譲って。その頃からお姉ちゃんと子供部屋みたいなところに入れられて。」

杉「子供部屋に。」

久「はい。ちょっとおじいちゃん、おばぁちゃんと距離はできてしまったんですが。おじいちゃんは、ずっとそばにいてくれるものだと思っていたので結構ショックでしたね。なんかあんまり病気のこととか分からなかったけれど、やっぱりなんか入院して何ヶ月も帰ってこないとか。おじいちゃんどうなっちゃうんだろ。なんで帰ってこないんだろ。毎日学校から帰ってきたら毎日お見舞いに行く。病院すぐそばだったので。」

杉「その時期くらいからお姉さんと子供部屋に入れられると。」

久「そうですね。お姉ちゃんのこと大好きなんですけど誤解のないようにいうとお姉ちゃんのこと大好きなんです。大好きなんですけど。すごくお姉ちゃんとくらべられるんですよ。」

杉「比べられるんですね。」

久「3歳くらいの時から水泳を習わせられて、とりあえずお姉ちゃんがやりたいので一緒に入っとけみたいな風になるんですが。それも年子であのそろばん私が3級受かった時にお姉ちゃん2級受かるんですよ。常にお姉ちゃんはすごい、お姉ちゃんはすごいみたいな感じで。うん。あのお姉ちゃんのこと大好きなんですがいつもあの両親からお姉ちゃんはすごいみたいに言われてて。なんか私あんまり。私も頑張ってるんだけど…というのはありました。多分寂しさがあったんですよ。」

杉「寂しさがあったんですね。」

久「そうですね。おじいちゃんとおばあちゃんは私のことを褒めてくれるのに両親は褒めてくれないみたいなところはありましたね。」

杉「褒めて欲しかったんですか?」

久「多分褒めて欲しかったんじゃないかな。」

杉「褒めて欲しかった。強いていうと感情があったわけですね。それに対して自分の中で起こした行動とかあったんですか?」

久「勉強とかはお姉ちゃんができてるのもあって負けたくないというのはありましたね。」

杉「負けたくない。」

久「そうですね。うちの親も変わってて、なんか、テストで100点取るとお小遣いがもらえたりするんですよ。すごい勉強させようとしていたから。お姉ちゃんのこと大好きなんですが負けたくないというのはありました。」

杉「そういうことですね。認めて欲しい、負けたくないというのがあったんですね」

久「ありましたね。」

 

【中学時代】

 

久「そうですね。でも部活は本当はバレー部に入りたかったんですよ。」

杉「入りたかったのはバレー部。」

久「だけど私の時って中学校が給食じゃなくてお弁当だったんですよね。これ2年生の時は給食になるんですが入学の時はお弁当だったんですよ。で親がこう。運動部だと朝お弁当を作るのが大変だから運動部には入らないでくれと言われるんですよね。運動部に入ると土曜日も学校だったんですが日曜日も部活があると親が担当だったんですがもう運動部には入るなと言われて私、あの小学校の時から演劇部だったんですよ。」

杉「え、演劇部だったんですか!!」

久「演劇部だったんですよ。小学校の時に外で遊ぶのは好きだったんですがあんまり人前で話すこととか喋れなくて赤面症だったんですよね。」

杉「ほぉ。赤面症だったんですか。」

久「そうなんですよ。授業中差されると顔真っ赤になって喋れなくなっちゃうので。」

杉「うん、そういう子いました。」

久「担任の先生がちょうど演劇クラブの先生をやっていてちょっと人前で話せるようにならないといけないので演劇クラブに入れられて。その時、そんなに興味がなかったんですが入れられたまま演劇やってたんですよ。」

杉「英語をやり始めた小四の時に演劇もやり始めたと」

久「そうです。そうです。四年生の時からクラブ活動が始まり、本当はバレー部に入りたかったんですが演劇部に入れられて中学に入ってもバレー部に入りたかったんですが親がダメって言って、小学校の時に演劇をやっていた子たちにじゃあ演劇やろうよと言ってそのままズルズル。」

杉「じゃあ誘って入ったわけですね。中学の時。 はぁ〜、そういうことですか。じゃあ結構演劇歴は長いんですね」

久「このまま高校までやるので。」

【高校時代】

杉「高校で、中学では部活、塾の子と一緒にいるのが楽しかったけれどもまた殻に閉じこもってしまうと。」

久「そうですね。結構父がレールを敷くタイプなんですよ。お前はこうしとけば大丈夫。お前はこうしとけ。みたいな。俺の言う通りにしとけば大丈夫みたいな。将来薬剤師になっとけば大丈夫みたいな感じで。父がこう、女性でも安定した職業とか調べてくれて、資格をとってとか調べてくれて、薬剤師になるんだって言って。」

杉「これ、なんで?って思わんかったんですか?」

久「何でって、私もこう蕎麦屋を継ぎたかったんですよ。ですが女はダメだって言われて。女性に飲食店は無理だからお前はダメだって言われて。女性で資格をとって一生できる仕事は薬剤師だってなって。」

杉「そう言うことですね。お父さん、一生できる仕事は薬剤師だってなったわけですね。」

久「高校もこう言う高校がいいって言うのを何個か父が決めて行くならこの高校にしろって言うのがあってですね。けど。先に姉の話をすると姉はランクが上の高校を受けて落ちたんですよ。私は行きたいところに行くって言ったんですけれども姉はランクが高いところを受けて父が決めたところは滑り止めにして結果父が決めたところに行くんですけれども、姉が父が決めた学校に行ったらなんか、ほれみたことかみたいになって。結局姉もそうなったじゃないかみたいになって。」

杉「結局、また同じ学校に行くことになり。」

久「まぁそうですね。父の敷いたレールの上を高校に入り、そうなんですよ。私本当は女子校に行きたかったのに。」

杉「あ、行きたいところがあったんですね。」

久「自分でも全然違うところで行きたいと思うところがあったんですがまぁ父がそこに行けと従って。従ってというのもなんかですがまぁまぁ自分も文化祭で見ていい学校かなと思ってでっすね。まぁ自転車で30分かかりますがいいじゃないかと。」

杉「うん。本当は行きたい女子校があったけどお父さんのいう通り行って。で、文化祭で見た感じが良かったというのは、なんかこの部活の出し物が良かったとかあったんですか?だいたい部活とかがやってますよね。」

久「そうですね。部活が良かったというか雰囲気が自由なんですよ。生徒に比較的任せるみたいな感じで。結構自由度が高いというか。まぁここだったらいいかって感じで。高校では念願のバレー部に入れたんですよ。朝練ないので。実際バレー部の方は中学までの経験者が集まってその人たちがレギュラーで。初心者の人はレギュラー取れないんですよね。顧問の先生も初心者の人で中学までバレー部だった人が練習メニューも決めるしポジションも決めるみたいな感じだった。メンバーの6人が決めて未経験者はレギュラーになれませんみたいな感じがあった。」

杉「それに対して自分はどう思ったんですか?」

久「でも念願のバレー部に入れたことは嬉しすぎて。」

杉「満たされちゃってるってことですね。」

久「みんな仲よかったんですよ。経験者が7人と未経験者が5人くらい。レギュラー決まってるけれどしょうがないねみたいな感じで。もう満たされちゃって、朝練ないのに早く来て、レギュラーになれないメンバーで練習してた。」

杉「そうなんですね。そういう結束があったんですね。」

 

【進路】

久「進路が複雑なんですよまず、私あの看護の専門学校に行ったんですよ。」

杉「看護の専門学校?」

久「はい。そうなんです」

杉「ていうことは高校、看護の専門学校、大学ということですか?」

久「高校、看護の専門、大学。そうなんですけれども…看護の専門学校を半年くらいでやめちゃったんですよ。父は私を薬剤師にしたくて、まぁ薬剤師にならないんだったら理工学部に行けという感じだったんですよ。それがお父さんの敷いたレールだったんですけれども。だけどなんか看護師になりたいと思ってて。後付けかもしれないですがおじいちゃんが病気になった時に看護師さんがよくしてくれたことが記憶に残っていたり、高校の仲が良かった先輩が看護の専門に行ったのがあって看護師になりたいなって思った。」

杉「ありますよね。そういうの。」

久「父の大反対を押し切って看護の専門学校に入ったんですけれども、知り合いの整形外科の先生がいてその先生になんとなく私は外科とかオペ看とかに憧れていたので、腱鞘炎の手術の見学をさせてもらったんですよ。見てるだけだったんですけれども、そしたら貧血で倒れちゃったんですよ。今回は調子が悪かったんじゃないのみたいな感じで。2回目見学させてもらったんですけれどまた貧血で倒れちゃったんですよ。もうそこで心が折れて、もう私、看護師になれないわってなっちゃったんですよね。別に内科でも小児科でもあったんですが。もうオペ見て、あもうだめだってなって専門学校やめたんですよ。」

杉「その時どうだったんですか?感じとしては?」

久「初めて父の敷いたレールを抜けて自分で選んだ道で挫折をして、何やってんだろうって。もう、ショックですよね。この先どうしようって。」

杉「挫折をしたわけですね。結構、今までの人生で大きめの挫折ですか?」

久「今まで父に言われた通りにやって、高校に入って、なんかずっと楽しく生きてきたのに。」

杉「そうですね。楽しそうですもんね。」

久「楽しくやれてたんですがお先真っ暗。高校の友達とかにも大丈夫?どうすんの?って言われたり看護の専門学校で友達になった子たちにもまだ半年じゃん頑張ろうよと励まされたりしたけれど部屋から出れませんみたいになって、もう無理学校行けませんみたいになっちゃって。そのままどうしても辞めたいと親に言って辞めさせてもらって。」

杉「うん。お父さんはなんか言ってたんですか?」

久「父がその時、初めて泣いてたんですよ。」

杉「へぇ〜」

久「どうするんだって。結構それもショックで。なんかどうするんだみたいにがっくりしちゃって。多分私が初めて自分でやりたいって言ったことを通して独り立ちじゃないですがしかけたところで辞めちゃって、かなりショックを受けさせてしまった。親を説得して、これからどうするんだって言ってとりあえず大学に行くって言って。」

杉「とりあえず大学ってなかなか。」

久「そうですね。どうしようかな何学科に行けばいいかなってなって、とりあえず情報処理系に行けばまぁ何か仕事につきやすいと思って大学に行って。大学もすごい楽しかったんですよ。」

杉「大学は4年間行かれたんですか?」

久「はい、4年間。大学は大学で楽しくやって。」

杉「大学4年間情報処理系に進まれたと。浪人した人と同じ感じで入ったわけですね」

久「そうです。浪人と同じく1年遅れで入って。でもその時から薄々。私はパソコン好きじゃないなって。」

杉「笑。情報処理やってるけれどパソコンは好きじゃないって。でも情報処理をやったからパソコンが好きじゃないってわかったのかもしれないですけれども。」

久「そうですね。なんとか言語とか全然わかんない。でも3年生、4年生で研究室に入った時になんかパソコンと医療を結ぶっていうところに入るんですよ。」

杉「おぉ〜、3年の時。」

久「そうです。3、4年生の時にその研究室に入るんですよ。やっぱりその時に私、失語症の研究をやってたんですけれども、失語症の研究システムを研究してたんですけれども、それで言語聴覚士の人に会ったり、病院に行くことがあったんですけれどもやっぱり病院っていいな、医療っていいなって。」

久「それも面接の時にそういう医療とITを結ぶような仕事がしたいって入ったんですけれども入ってみたら全く全然そういうこともなく。」

杉「マジですか。どう思いましたその時。」

久「え、なんか。あの面接の時に私医療やりたいって言ったんですがって言ったら。それは夢だからって、それは自分が実績を作っていって将来やればいいことだからってなって。」

杉「いや、言ってもねぇ〜」

久「あれ?みたいな。で、システム開発の部署に入れられて全然違うなんか他の会社の金融システムかなんか作って私何やってんだろうってなって半年で辞めちゃうんですよ。もう一つの理由として私その会社東京だったんで入ったんですよ。ですが実際に入ったら静岡県浜松市だったんですよ。システム系の会社って当時は男性ばっかりで。女の子の友達欲しいな。仕事内容も好きではないし。まぁ浜松はいいところだったんですが周りに仲がいい人もいないし半年でやめようと。」

杉「それ進路を整理すると高校、専門学校、大学、SEの会社、この次に。」

久「柔道整復師の学校です。」

杉「柔整師ですか。うん。これはなんで柔整師の学校なんですか?」

久「父のいとこが柔道整復師なんですが、その人がおじいちゃんに似ていて昔から大好きな人んですよ。私、小さい頃結構怪我していてなんかあの神社の屋根登って骨折したり、結構気がついたら骨折とかしていて。父のいとこにギブスを巻いてもらったり、治してもらってたんですよ。SE辞めた時に何やリタかなってなった時に医療系やりたいかなってなった時にちょうど父のいとこが来て進路とか悩んでるんだったらこういった柔道整復師とかどうだ?って言ってくれて。その方みたいな仕事やりたいなってなってじゃあ柔道整復師の専門に行くってなって、秋くらいに決めました。ギリギリ願書が間に合って、願書出してすぐ試験だったんですよ、なんかもう大丈夫だろうと思って近くの整形外科に柔道整復師の学校行きますって面接しにいってそこでバイトも始めるってなって。」

杉「そうなんですか。」

久「うん、そうですね。学校に入学する前から整形外科に面接に行ってこれから専門学校行きますって。夜間部に入ったので9時〜17時まで働きますって言ってバイトに入れてもらいました父のいとこにも柔道整復師になるんだったら整形で経験を積んだ方がいいって言われて、どんどん外傷を見ろと言われて、整形でしか探してなかったんですよね。生活的に考えるときつかったと思うんですよ。もう朝、学生は下っ端なので9時から病院って言われても8時前にはいて掃除とかしないといけなかったし、17時くらいまで働いて学校が18時からだったから学校いって学校が21時過ぎに終わって、それから勉強もして、でその日先輩に習ったこととか仕事の内容とか復習してとか生活的には辛かったけどなんか楽しかったですね。専門のみんな、柔道整復師の専門のみんな、夜間部だからかもしれないけれどもうみんなクラス全員開業しようねみたいなテンションが、絶対やってやろうみたいなテンションが高くて。環境としてはクラスメイトからも影響をもらうし、職場も楽しかったですね。」

杉「そうですか。仲間にそこでも恵まれたわけですね」

久「そうですね。」

杉「その時から開業を意識されてたんですか?」

久「そうですね。クラスのみんな、何年後かに開業しようねみたいな団結があって。自分でやるんだったらこうするんだ、ああするんだってクラスのみんなで話をしていて。まぁ私整形で働いていたから恵まれていたと思うんですけれどみんな接骨院で働いている子は安月給でひどい扱いとか受けていて。もうみんな自分が開業したらああなってやる、こうなってやると言うのがあって。そうですね。何年後までにはみんな開業しようって言うのがありましたね。熱い環境でしたね。」

杉「そこで開業しようって言う話が出てきたんですけれども3年ですよね。」

久「3年です。」

杉「夜間でも3年。専門に行って合格されるわけじゃないですか。ここから鍼灸を取られたんですか?」

久「はい、働いている先輩に鍼灸の人もいて、鍼灸もやってたんですよね。」

杉「そこの整形が?すごいですね。」

久「そうなんです。でその鍼灸師の先輩が柔道整復師の専門に行っていて、女の先輩が。」

杉「ほう、先輩への憧れが。」

久「そうですね。先輩は鍼灸を先に持ってるから、骨折の患者さんにガンガンに鍼を打つんですよ。鍼をうって腫れを引かせてとか、捻挫の人とか受傷直後に鍼をうって教えてくれてたんです。こうやって腫れを引かせるんだよって。もうこれは武器だなって思って。私も先に鍼灸をとればよかったってなって。そう思うくらい先輩に憧れていて、その先輩が按摩も持っていたのでその先輩と同じ学校に入ろうと思って。その先輩への憧れが強くて、もう絶対に鍼灸がないとダメだって思っちゃって、柔整の学校卒業してからそこから2年は整形で働かなきゃいけないんです。」

杉「すぐじゃないんですね。」

久「すぐじゃないです。もうお金も尽きてしまったのでお金も貯めようと思って。2年間整形で働いて、憧れていた先輩の通っていた学校を受験して、鍼灸あんまマッサージを取りに行ったんです。」

【旦那さんとの出会い】

久「夫は柔道整復師の学校のクラスメイトなんですよ。」

杉「はぁ〜、じゃあその時にはもう知り合っているわけですね。」

久「でも夜間部って年齢バラバラなのに、柔道整復師の学校クラス30人で女子が4人、男性も年バラバラなのに唯一同い年だったんですよ。まぁ、そんな感じで、夫は鍼灸取りに行く気なかったんですが私が卒業後鍼灸取りに行くっていたったらじゃあ僕もってなって。2年間お金を貯めようってなって、だけど夫はあんまは要らないなってなって別の学校に行って、でも私はその先輩と同じ学校に行きたいので違う学校に行きました。」

杉「違う学校に行ったと。そういうことですか。」

久「そうですね。」

杉「そこからずっと整形で働いていたということですか?」

久「整形は整形なんですけど別の整形に移るんですよ。ちょっと鍼灸の学校が遠すぎて通えなかったので働く時間を短くするか、そうなんです。働けないってなって、夫ともちょうど一緒に住むってなって、学生同士なんですけど。でそれで家からは学校通えないから引っ越したのと同時に仕事やめて、別の整形外科に移ったんですよね。もうそこの整形がいいところでもともと柔道整復師の方が建てた整形外科なんですけど。3年間夜間部に行って、また9時〜17時まで働いてまた夜間部に帰ってくるってのを3年間やって。」

杉「その繰り返しで。仕事学校勉強の繰り返しってことですね。」

 

【社会人】

杉「その後、晴れて社会人になると。」

久「そうです、そのままその整形でお礼奉公もあって1年。でも鍼灸師が何人もいたので自分まで鍼灸の患者さんが回ってこなく、9個の整形がグループであって、配属されたところが主任が鍼灸師だったんです。主任のところに鍼の患者さんが集まっちゃったので、回ってこなくて、もうちょっと鍼やりたくて、鍼をメインでやってる鍼灸接骨院に移ってですね。」

杉「そこで経験を積ませてもらったんですね。」

久「そうですね。そこに1年くらいいてぼちぼち開業したいなっていうので、開業の準備をして。」

杉「就職して2~3年くらいで開業するっていう感じ。それが9年前だと。」

久「そうですね。」

杉「もうその頃にはご結婚されてるんですか?」

久「そうですね。鍼灸とってまる一年して入籍したんですよね。」

杉「あ、とういうことは鍼灸整骨院に行くかいかんかくらいのタイミングで入籍をされたと。それが自分の中での人生の大きなポイントになってるってことですよね」

久「仕事と人生のパートナー。仕事でも心強いなって思ったので。」

杉「仕事でも。人生でも。心強いと。」

久「そうですね。」

杉「これでご主人とご主人の弟さんと3人で始まるわけですけどなんかこんなことがありましたよとか今後こう考えてますよとか、これからこういう目的に向かって行くとかなんかあったりしますか?」

久「そうですね。やっぱりあの目的目標というのが難しいんですけど自分の中ではずっと鍼灸師になったんだからとか柔道整復師になったんだからとかこの仕事を極めていかなければいけないって思ってたんですけどここちめいど に出逢って最近皆さんの話を聞いていていろんな働き方があるんだなって、皆さんの話でとらわれずに鍼灸師の働き方ってこれだけではないってあったのでこれから自分のこうしなかればっていうのにとらわれずに鍼灸師の仕事じゃないことも鍼灸接骨院をしながらですけれども何かチャレンジしていきたいなっていうのを思ってます。」